半知録

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『日知録』易篇訳「姤」

〔要旨〕

天下は、ひとたび治まればまた乱れる。邪説の起こることと世の浮き沈みとは、聖人でも除くことはできない。姤の「金柅に繫ぐは、柔道牽けばなり」は、そのことを述べたものである。

 

〔原文〕 

天下之生久矣。一治一亂、盛治之極而亂萌焉。此一陰遇五陽之卦也。孔子之門、四科十哲、身通六藝者、七十有二人。於是刪詩・書、定禮・樂、贊周易、修春秋、盛矣。而老莊之書卽出於其時。後漢立辟雍、養三老、臨白虎、論五經、太學諸生至三萬人、而三君・八俊・八顧・八及・八廚爲之稱首、馬・鄭・服・何之注、經術爲之大明。而佛道之教卽興於其世。【胡三省曰、「道家雖宗老子、而西漢以前未嘗以道士自名、至東漢始有張道陵・于吉等。是道與佛教皆起於東漢之時」。】是知邪説之作與世升降、聖人之所不能除也。故曰、「繫于金柅、柔道牽也」。嗚呼、豈獨君子小人之辨而已乎。

 

 

〔日本語訳〕 

天下が生じてから久しい。ひとたび治まりひとたび乱れる、盛治の極みにおよべば乱がここに萌芽してくる。姤は、一陰が五陽に遇う卦である。孔子の門下には、四科十哲の高弟、身に六芸が備わっている者は、七十二人いる。そうして孔子は、『詩経』『尚書』を刪定し、礼や楽を定め、『周易』を〔十翼を作って〕補助し、『春秋』を編纂して、それらが盛んに行われるようになった。しかし、老壮の書もまた同時期に出現した。後漢において辟雍が建てられ、三老を養い、白虎観会議に臨んで、五経の異同を論じ、太学の書生たちは三万人におよび、三君・八俊・八顧・八及・八廚がとりわけの名士とされ、馬融・鄭玄・服虔・何休らの注によって、経術が大いに明らかとなった。しかし、仏教・道教の教えもまた同時期に興った。【胡三省は言う、「道家老子を宗主とするとはいえ、前漢以前にはまだ道士を自認する者はなく、後漢に至り初めて張道陵・于吉等の道士が出現した。道教と仏教とはみな後漢の時に起こったのだ」と。】邪説の起こることと世の浮き沈みとは、聖人でも除くことはできないことを知る。それゆえ〔姤の初六の象伝に〕「金柅に繋ぐのは、柔陰小人の道が牽引しようとするからである」という。ああ、〔世が乱れるのは〕どうして聖人と小人との区別だけの問題であろうか。

 

『日知録』易篇訳「利用為依遷國」

利用為依遷國

〔要旨〕

益六四爻辞の「用て依るところを為し國を遷すに利あり」とは、安定した国でも有事の国でも、臣下が公正な判断で君主に告げたことにもとづき国を遷すことに利益があるということ。

 

〔原文〕 

在無事之國而遷、晉從韓子之言而遷於新田是也。在有事之國而遷、楚從子西之言而遷於鄀*是也。皆中行告公之益也。

  *「鄀」、原抄本は「郢」に作る。

 

 〔日本語訳〕

安定した国にあって遷都するのは、晋が韓献子の言に従って〔その必要性はないものの〕新田に遷都にしたのが、それである。有事のある国にあって遷都するのは、〔戦争で敗れ滅亡の危機を感じて〕楚の子西の言に従って鄀に遷都したのが、それである。みな「公正な判断でもって公に告げる」ことの益があったのである。

 

〔解説〕

 「無事の国に在りて遷る」の例証は、『春秋左氏伝』 の成公六年、晋人が絳から国都を遷すことを議論したとき、諸大夫は郇・瑕の地帯を薦めたが、それに対し、韓献子は郇・瑕の地帯は地形的によろしくないとし、新田を薦めた。晋の景公は、韓獻子の進言に納得し、晋は新田に遷都したことによる。

 「有事の国に在りて遷る」の例証は、『春秋左氏伝』の定公六年、楚の水軍が呉の大子終纍に敗れると、楚の国内は大いに危ぶみ、滅ぶことを恐れた。さらに陸軍を率いた子期も繁陽で敗れると、楚の令尹の子西は「今こそするべきことができる」と喜び、都を郢から鄀に遷し、政治を改革して楚国を安定させたことによる。

 

『日知録』易篇訳「上九弗損益之」

上九弗損益之

〔要旨〕

君子が適切な方策を行えば、なにも失うこともなく民の生活を厚くすることができる。損上九爻辞の「損せずして之を益す」とはそのことを言ったものである。

 

〔原文〕

有天下而欲厚民之生、正民之德、豈必自損以益人哉。不違農時、榖不可勝食也。數罟不入洿池、魚鼈不可勝食也。斧斤以時入山林、材木不可勝用也。所謂弗損益之者也。「皇建其有極、斂時五福、用敷錫厥庶民」。詩曰、「奏格無言、時靡有争」。是故、君子不賞而民勸、不怒而民威於鈇鉞、所謂弗損、益之者也。以天下爲一家、中國爲一人、其道在是矣。

 

 

〔日本語訳〕

天下を保有して民の生活を厚くし、民の徳を正そうとしたいのなら、どうしてみずから損をして人に利益をもたらす必要があるだろうか。農繁期に邪魔しなければ、穀物は食べきらぬほどできる。目の細かい網を沼や池で魚を捕るのに使わせなければ、魚やすっぽんは食べきれないほどになる。木を伐りだす適当な時期に山林に入れば、材木は使いきれないほどになる。これが、いわゆる「損をしないで、これを益す」ということだ。また、〔『尚書』洪範に〕「王が準則を立て、五福を集めて、その庶民に敷き与える」とあり、〔『詩経』に〕「神前に進み至って言葉を発す者はなく、争い騒ぐ者もいない」と言う。そうであるから、君子が賞せずとも民は励み、怒らなくとも人民は斧やまさかりよりも恐れる。これも、いわゆる「損をしないで、これを益す」ことである。天下を一つの家とみなし、中国を一人とみなす、君主の道はこの「損をしないで、これを益す」ということにある。

 

『日知録』易篇訳「損其疾使遄有喜」

損其疾使遄有喜

〔要旨〕

不善を減らし善に従う者は、剛陽より尊ぶものはなく、速やかなるより貴ぶものはない。損の初九に「事を己めて遄かに往く」とあり、六四には「遄かならしめば喜び有り」とある。損の六四が速やかに行動できる理由は、その初九の剛陽に頼るからである。

 

〔原文〕 

損不善而從善者、莫尚乎剛、莫貴乎速。初九曰「己事遄往」、六四曰「使遄有喜」。四之所以能遄者、賴初之剛也。周公思兼三王以施四事、其有不合者、仰而思之、夜以繼日、幸而得之、坐以待旦。子路有聞、未之能行、惟恐有聞。其遄也至矣。文王之勤日昃、大禹之惜寸陰、皆是道也。君子進德修業、欲及時也。故爲政者、玩歳而愒日、則治不成、爲學者、日邁而月征、則身將老矣。

召公之戒成王曰、「宅新邑、肆惟王其疾敬德」。疾之爲言、遄之謂也。故曰「雞鳴而起、孳孳爲善」。

 

 

〔日本語訳〕 

不善を減らし善に従う者は、剛陽より尊ぶものはなく、速やかなるより貴ぶものはない。損の初九に「余計な事をやめて速やかに往く」とあり、六四には「速やかにすれば喜びがある」とある。損の六四が速やかに行動できる理由は、その初九の剛陽に頼るからである。周公は夏・殷・周の三代の王を兼ねてかれらが行った四事を施そうと考えたが、時代に合わないものがあれば、天を仰いで思慮をかさね、夜でも考え続け、さいわいにしてよい考えを思いつくと、ただちに実行しようと夜があけるのを待ちかまえたのであった。子路は教えを聞いて、まだそれを実践できないうちは、さらなる教えを聞くことを恐れた。これらは、速やかであろうとする極致である。文王が一日中休まず務め、禹がわずかな時間でも惜しまなかったのは、みな道に則した在り方である。君子が徳を進めて事を修めるのは、しかるべき時に間に合うように心がけるためである。それゆえ政を行う者が年月をもてあそび日をむだにすれば、治めることはできず、学をなす者が月日だけがいたずらに過ぎ去れば、身はすぐに老いてしまう。

 召公が成王を戒めて言った、「新邑にいて、今、どうか疾(すみ)やかに事を行い徳を重んじくださいませ」と。ここの「疾」という言葉は、速やかという意味である。それゆえ「一番どりの鳴き声で起き、せっせと怠らずに善をなす」と言うのだ。

 

『日知録』易篇訳「有孚于小人」

有孚于小人

〔要旨〕

君子は、小人のすべてを見通せ、惑わされることなく従わせることができる。それゆえ小人を心服させるのである。解の六五爻辞「小人に孚有り」とは、そのことを言ったものである。

 

〔原文〕 

君子之於小人也、有知人則哲之明、有去邪勿疑之斷、堅如金石、信如四時。使憸壬之類皆知上志之不可移、豈有不革面而從君者乎。所謂「有孚于小人」者如此。

 

 〔日本語訳〕

君子が小人に接するとき、その人となりを知ればすべてを見通せる明哲さがあり、邪悪な者を去り疑うことはない判断力を持ち、その意志が固いことは金石のように頑強であり、人を信ずることは四時のように自然である。もし媚びへつらう小人の類がみな君主の志は決して変えることができないことを知れば、どうしておもて面だけを変えて君主に従わない者がいようか。「小人を心服させる」というのは、こういうことを言ったものだ。

 

〔解説〕

「知人則哲」は『尚書』虞書・皋陶謨、「去邪勿疑」は『尚書』虞書・大禹謨、「堅如金石、信如四時」は『大戴礼記』礼察篇に、ぞれぞれ典拠がある。

『日知録』易篇訳「罔孚裕无咎」

罔孚裕无咎

〔要旨〕

晋初六の爻辞の「孚罔なきも裕にすれば咎无し」とは、どんなに役職にあっても、その職責を全うすれば咎はないということである。もし職責を全うできなければ去る。

 

〔原文〕 

君子信而後諫、未信則以爲謗已也。而況初之居下位、未命於朝者乎。孔子嘗爲委吏矣、曰會計當而已矣。嘗爲乘田矣、曰牛羊茁壯長而己矣。此所謂裕无咎也。若受君之命而任其事、有官守者不得其職、則去。有言責者不得其言、則去矣。

 

 〔日本語訳〕

君子は信頼された後に諫言し、いまだ信頼されていない場合はおのれを謗ったと思われる。ましてや晋の初六は一番下の位に居り、いまだ政務に命じられていない者はなおさらである。孔子はかつて倉番になったとき、「会計があっただけのこと」と言い、かつて牧畜の官になったときは、「牛や羊はまるまると太っただけだ」と言うだけであった〔孔子は、どんな下級の官職に任ぜられても不平不満を言わず、その職務を全うしたのである〕。これがいわゆる寛裕であれば咎がないということである。もし君の命令を受けてその事柄を担当することになり、職責がある者はその職責を全うできなければ去り、言責がある者がその言を受け入れられなければ去る。

 

〔解説〕

晋初六の爻辞の「罔孚」とは、王弼注によれば、功業はいまだなく、人にいまだ信頼されていない状態のことを指す。 

 

『日知録』易篇訳「天在山中」

天在山中

〔要旨〕

大畜の象伝に「天が山中にある」というのは、地より上は「天」とされるからである。

 

〔原文〕

張湛注列子曰、自地以上皆天也。故曰天在山中。

 

〔日本語訳〕 

 

張湛が『列子』に注釈して、「平地より上はみな天である」と言っている。それゆえ〔大畜の象伝に〕「天は山中にある」と言うのである。

 

〔解説〕

大畜の象伝に「 天在山中」とあるのは、大畜が上艮下乾で、山を象徴する艮の下に、天を象徴する乾があることによる。普通、山の上に天があると考える。大畜ではその逆で、山の下に天があることを問題としている。