半知録

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王引之は『秘冊彙函』を使っていた

 王引之は、『秘冊彙函』を使っていた!だからどうしたと言われればそれまでですが、ちょっとした小話として聞いてください。 

 

 王引之(1766年-1834年)の著作に『経義述聞』があります。この本は、父である王念孫から伝え聞いたことを踏まえ、経伝の字句の訓詁を論じたものです。『周易』・『尚書』・『毛詩』・『周礼』・『儀礼』・『大戴礼記』・『礼記』・『春秋左伝』・『国語』・『春秋公羊伝』・『春秋穀梁伝』・『爾雅』と多岐にわたります。ここでは、冒頭の『周易』に注目します。

 

 王引之は、『周易』の訓詁を論じるにあたって、唐の李鼎祚の『周易集解』を多用しています。『周易集解』は、数種類の版本が残されていて、それぞれ多少の字句の異同があります。では、王引之はどの版本を使ったのかと言えば、『秘冊彙函』所収本国立公文書館デジタルアーカイブにて公開されていたので、貼っておきますね)なのです。『秘冊彙函』とは、明の胡震亨らが編纂した叢書になります。明の毛晋の『津逮秘書』のもとになった叢書でもあります(詳しくは、劉斯倫「『津逮秘書』所収の『秘冊彙函』版について」を読みましょう

 

 なぜ秘冊彙函本を使ったかわかるのかと言えば、秘冊彙函本独特の文字の相違を踏襲しているからです。『経義述聞』弟(「第」の打ち間違えではありせんよ)一「光」の項に、次のような『周易集解』からの引用がみえます。

注「其危乃光」曰、「徳大即心小、功高而意下、故曰其危乃光也。」

 これは夬の彖伝に対する注です。これを『周易集解』の諸本と比べてみましょう。

聚学堂刻本・津逮秘書本・雅雨堂叢書本・学津討源本・四庫全書本

「徳大即心小、功高而意下、故曰其危乃光也。」

秘冊彙函本

「徳大即心小、功高而意下、故曰其危乃光也。」

 『経義述聞』では、「即」の下に「以」がありますね。これは、秘冊彙函本にしかみられないのです。とすれば、王引之は、秘冊彙函本から引用したことになるでしょう。

 

 また「師或輿尸」の項では、

師六三「師或輿尸、凶」、虞注曰、「同人、離為戈兵、為折首、故『輿尸、凶』矣」。【『集解』誤作盧氏説。張氏皋聞訂為虞翻説。】

 つまり、『周易集解』では誤って「盧氏」に作っているが、「虞翻」とするのが正しいと言っているのです。しかし、雅雨堂叢書本・学津討源本・四庫全書本では「虞翻」となっています。これらの本を見ただけでは、王引之は何を言っているのか、ちゃんと「虞翻」に作っているではないか、となります。一方で、聚学堂刻本・秘冊彙函本・津逮秘書本をみますと、「盧氏」に作っています。ですから、これらの版本によれば理解できます。その内の秘冊彙函本に則ったのでしょう。

 

 王引之は、『周易集解』は秘冊彙函本を使用しています。秘冊彙函本を前にすると、王引之はこの本を傍らに置いて『経義述聞』を書いていたのかと感慨深いものがありますね。というわけで、『経義述聞』の典拠探し際は秘冊彙函本をみましょう。

 

 なお、秘冊彙函本は善本ではありません。その底本は趙清常から得た伝写本によっており、脱誤が非常に多いです。胡震亨自身それを自覚しており、原本を求め校合したかったが、会試が迫っていてその暇がなかったと言っています(なお、落第した模様)。ですので、みなさんは秘冊彙函本を底本として使うのはやめましょう。