半知録

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『周易本義』と『原本周易本義』

 『四庫全書』に『周易本義』と『原本周易本義』が一緒に収録されている。『周易本義』とは、朱熹の『易』に対する注釈書である。一見すると、『周易本義』と『原本周易本義』は、構成はやや異なるが、内容は同じようにみえる。しかし、構成が異なるだけで同書を二つも入れたはずもなく、何かしらの重大な相違があったはずである。『周易本義』と『原本周易本義』の由来は何なのか、「原本」とはどういった意味なのか、少し述べておきたい。

 

 かくいう私も、『四庫全書』に『周易本義』と『原本周易本義』があることなど、『日知録』を読むまで全く気にしてなかった。『本義』を読むとき、『四庫全書』を使うことはないからである。『日知録』「朱子周易本義」の項に次にようにある。

今四書版本毎張十八行、毎行十七字、而註皆小字、『書』『詩』『礼記』並同。惟『易』毎張二十二行、毎行二十三字、而『本義』皆作大字、与各経不同、明為後来所刻。是依監版『伝義』本、而刊去程『伝』。凡『本義』中言「程伝義矣」者、又添一「伝曰」、而引其文、皆今代人所為也。坊刻擅改古書、宜有厳禁、是学臣之責。

 

今の『四書集注』の版本は、毎張十八行、毎行十七字、注はすべて小字で、『書集伝』『詩集伝』『礼記集説』もすべて同じ版式である。ところが、『周易本義』のみ毎張二十二行、毎行二十三字、『本義』の文はみな大字となっており、その他の経の版式と同じではなく、明らかに後来の人によって刊刻された本である。およそ『周易本義』中で「程伝備矣」と言っている箇所では、「伝曰」が付け加えられ、程頤の伝の文が引かれており、すべて今代の人の所為である。坊刻の勝手気ままに古書を改めることは、是非とも禁絶すべきであり、〔そのことを許容する〕学臣の責任である。

  ここで顧炎武は、通行している『四書集注』の内、『書集伝』『詩集伝』『礼記集説』は同じ版式だが、『周易本義』だけ異なっており、それが後人の改変によるものだと指摘する。そうした古書を改変、そしてそれを受容する学臣たちを批判している。

 

 ここで注目するのが、顧炎武が言及する『周易本義』である。それは、毎張二十二行、毎行二十三字で、『周易本義』中の「程伝備矣」の後に、「伝曰」が付け加えられ、程頤の伝が引かれていたという。程頤の伝とは、『伊川易伝』(または『周易程氏伝』)のことである。当然、朱熹の『周易本義』には程頤の伝は含まれているはずもなく、本来の『周易本義』の形ではなかったわけである。その『周易本義』がどの本なのかを探していくうちに行き着いたのが、『四庫全書』の『周易本義』と『原本周易本義』である。

 

 『周易本義』中の「程伝備矣」がある場所を探すと、履の象伝、夬の象伝にみえる。履の象伝を例に取る。『周易本義』と『原本周易本義』とを比較しよう。右が『周易本義』、左が『原本周易本義』である。

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 履の象伝「上天下澤履君子以辨上下定民志」の注に着目すると、『周易本義』では「程伝備矣」の後に「伝曰」が続いているが、『原文周易本義』では「程伝備矣」で終わっている。そして『周易本義』が引く「伝曰」の文は、程頤の伝である。

 

 顧炎武が言及する『周易本義』の特徴と『四庫全書』中の『周易本義』と合致するのである。そのことはつまり、顧炎武が言う今代の人によって改変された『周易本義』とは、『四庫全書』中の『周易本義』のことだったのである。正確を期せば、『四庫全書』が元にした『周易本義』と言うべきであろう。

 

 では、その『周易本義』は、どのようにして程頤の伝を含む形となったのだろうか。顧炎武は言う。

永楽中、修『大全』、乃取朱子卷次割裂、附之程伝之後、而朱子所定之古文仍復殽乱。・・・後来士子厭程伝之多、棄去不読、専用『本義』。而『大全』之本乃朝廷所頒、不敢輒改。遂即監版『伝義』之本刋去程伝、而以程之次序為朱之次序。

 

永楽年間、『易経伝義大全』が編纂され、そうしてはじめて朱子の巻次を取って切り離され、程頤の伝を引いた後に附されて、朱子が定めた古文の形がまた錯乱した状態に戻ったのである。・・・後来の人士は程頤の『伝』の多きを嫌い 捨て去って読まず、専ら『周易本義』を用いるのみであった。しかし、『大全』の本は朝廷が頒布したものであったから、大胆にも改めようとする者はいなかった。だが遂に監版『易経伝義大全』の本に拠りその中の程頤の伝を除き去り、程頤の次序を朱熹の次序とする本が現れた。

 それが、『周易本義』なのである。つまり、『易経伝義大全』(朱程合刻本)→(程伝除去)→『周易本義』という過程を踏んで成った本であった。『周易本義』が『原本周易本義』と構成を異にし、程伝が含まれていたのも、『易経伝義大全』の名残なのである。

 

 こうした改変を行った人物はわかっている。明の成矩である。成矩編『周易本義』こそ、『四庫全書』の『周易本義』であった。ただ成矩編『周易本義』の原本はほとんど出回っておらず、私も実物は見ていない。『故宮珍本叢刊』第一冊に『新刻官版周易本義』として収録されているようだ。故宮博物院のサイトに『新刻官版周易本義』の書影と解題がある。しかし、顧炎武が言う、毎張二十二行、毎行二十三字と版式が異なり、顧炎武が見た成矩編『周易本義』ではない。郭明芳「東海」藏《周易本義》為胡儔重刊本考」では、成矩刻本の検討を行っている。そこに挙げられている書影は、顧炎武が言う版式と合致する。

 

 さて『四庫全書』の『周易本義』は成矩編『周易本義』だと判明したが、『原本周易本義』は何なのか。ずばり宋代に刊行されたそのままの朱熹の『周易本義』である。「原本」と冠せられているのは、そういった意味である。『四庫全書総目提要』によれば、『原本周易本義』は咸淳元年呉革刊本とされる。なお、『周易本義』および『原本周易本義』の『提要』の議論は、『日知録』の「朱子周易本義」にほとんど依拠している。

 

 長々と書いてしまった。結論をまとめると、『四庫全書』の『周易本義』は成矩編『周易本義』、『原本周易本義』は朱熹撰『周易本義』である。朱熹の『周易本義』を読む際、もし『四庫全書』を参照するなら、『周易本義』を使ってはいけない。それは罠だ。正しくは『原本周易本義』を見なければならない。