半知録

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『群書治要』についてーその③

 

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 かなり遅くなってしまいましたが、今回は「尾張本」の改変について具体的な例を挙げながらご紹介していきたいと思います(なお、各本の詳細については上引①②をご参照いただけますと、幸いです)。以下、

尾張本」:『四部叢刊』所収本

「元和本」:東京大学東洋文化研究所所蔵本(同研究所漢籍善本影印資料庫)

「金沢本」:宮内庁書陵部所蔵本(漢籍集覧)

「九条本」:東京国立博物館所蔵本(e国宝)

「慶長写本」:国立古文書館所蔵本(同館デジタルアーカイブ

『孝経注疏』:(清嘉慶二十年南昌府学重刊宋本)

『経典釈文』:(清抱経堂叢書本)

を使用します。(引用中の、句読点、加色は筆者による。)


㈠ 巻九所収『孝経』における改変

 

 先に、この『群書治要』所収『孝経』の性格について簡単に述べておきます。はじめに、その付されている注については、鄭玄注(以下、鄭氏注)ということになっていますが、諸説あります。これは、江戸時代、尾張藩士等の発見にかかるものであり、寛政年間には、岡田挺之がこの『群書治要』所収『孝経』鄭氏注を底本に『孝経鄭注』を刊行しました。のちには、長らく散佚していた中国へ舶載され、鮑廷博『知不足斎叢書』第二十一集へ収録されました。清にもたらされた『孝経鄭注』は厳可均、臧庸、皮錫瑞等によって、更に考証、輯佚、校勘が行われ今に至ります。

 

 続いて、本文については、鄭氏注が附されていることからも明らかですが、所謂『今文孝経』が採用されているようです。以下補足になりますが、秦の焚書坑儒によってもれなく焼却された『孝経』は、漢初に至り、河間の顔芝が秘蔵していたものを、子の顔貞が朝廷に献上しました。これが上記『今文孝経』の起こりと言われています。ただ、『孝経』には今文・古文の別があることは周知のことでしょう。前漢武帝期に曲阜の孔子旧宅の壁中から発掘されたという所謂『古文孝経』は弘安国が伝を作ったと伝えられています。南北朝時代の梁代までは伝わっていたようですが、以降一時的に行われなくなり、隋代に至り再び発見され、それを用いて劉炫『孝経述義』が撰述されたと言われています。

 

 さて、前置きが少し長くなりましたが、早速その改変を見ていきたいと思います。

 

尾張本」(3a-9{左記の場合3葉表(b:裏)、9行目を示す、以下同じ})

【経】因(眉注:因上舊有子曰二字,删之)天之道。
【注】春生夏長、秋收冬藏、順四時以奉事天道。

 ここでは、「尾張本」本文「因天之道」の「因」字の上に「旧本」には「子曰」の二字があったが、これを(余分と考え)削ったとあります。では、先に、ここで言う「旧本」を見ていきましょう。

 

 「金沢本」「慶長写本」「元和本」(「九条本」当該巻現存せず)

【経】子曰、因天之道。
【注】春生夏長、秋收冬藏、順四時以奉事*1*2道。

 「尾張本」に先行する所謂「旧本」はみな「子曰」を冠しています。はて、どちらが『群書治要』の原貌なのでしょうか。


 その手懸りとして、一度、通行本(唐玄宗注『孝経』)がどうなっているのかを見ておきましょう。

『孝経注疏』巻三(1a-5)

【経】用天之道。
【注】春生夏長、秋斂冬藏、挙事順時、此用天道也。

 通行本では、そもそも「因」ではなく「用」が用いられています。実は、ここは、今文・古文の間に文字の異同がある箇所です。『今文孝経』は通行本と同じく、『古文孝経』は上記、所謂「旧本」の字句と合致するのです。

 

 恐らく「尾張本」刊校者は、「旧本」のように「子曰」があるのは古文の経文であり、通行本が今文の経文であると判断し、それによって、「旧本」の字句を改めたものであると思われます。では、この改変が妥当であったかどうかが問題となります。先に、結論を言うとやはり釈然としません。

 

 そもそも、もし『今文孝経』の字句に改めるのならば、「子曰」を削るだけでなく、「因」も「用」に改めるべきではないでしょうか。もちろん、「尾張本」刊行当時、既に鄭氏注『今文孝経』は流布していなかったわけですから、その真相を突き止めることができなかったことは仕方のないことですが、「子曰」のない御注『孝経』を今文の字句と認めるならば、なぜ、その二字だけを不要と判断したのでしょうか。

 

 しかし、この箇所はどちらが本来の姿であるか、定めがたいのも事実です。清余蕭客『古経解鉤沈』巻二十四によれば「影宋蜀大字本」には「子曰因天之道」と作っていたようです。また、『敦煌経部文献合集』によれば、敦煌より発見された『今文孝経』のうちの一本も、「子曰因天之道」と作るものがあるようです。ただ、同じく敦煌文書の『鄭注孝経』(P.3428)は通行本と同じく「用天之道」とあり、一体『群書治要』編纂当時に採用されたものが、何れであったか釈然としないのです。

 

 しかしながら、上記の状況を踏まえるならば、「尾張本」刊行時は現在にもまして史料的制約があったものの、やはりその改変には慎重を期すべきであった、と言えるでしょう。

 

 なお、皮錫瑞『孝経鄭注疏』は、「子曰因天之道」を採用していますが、これは『古経解鉤沈』に見える「影宋蜀大字本」の情報、および「尾張本」眉注を参考にしたものであると思われます。もし、皮氏が敦煌本『鄭注孝経』(P.3428)目睹し得ていれば、「用天之道」を採用していたかもしれません。

 

 

 

尾張本」(7a-3)

【経】子曰、五之属三千。

【注】五刑者、謂墨、劓、臏、宮(眉注:宮下旧有割字、删之)大辟也。

 ここは、尾張本」注「宮」字の下に「旧本」には「割」字があったが、これを削ったとあります。では、先ほどと同じく、続いて「旧本」を見ていきましょう。

 

「金沢本」

【経】同上

【注】五刑者、謂劓、、臏、宮、大辟也。

 

「慶長写本」「元和本」

【経】同上

【注】五刑者、謂墨、臏、宮、大辟也。

 まず、各「旧本」にはみな「割」字があることがわかります。加えて、注目していただきたいのが、「金沢本」と他二「旧本」の「劓↔」の乙です。これは後に問題となりますので、記しておきます。さて、この箇所もどちらがその原貌であるかを、検討する前に、通行本を先に見ておきましょう。

 

『孝経注疏』巻六(2b-7~8)

【経】同上

【注】五刑者、謂墨、劓、、宮、大辟也。

 通行本に「割」字がないのは、「尾張本」と同じです。通行本を以て、改めたのでしょうか。しかし、通行本の「」は「尾張本」では「」に作っており、異同があります。ただ、『群書治要』間にその異同は見られませんので、今回は問題にしないことにします。やはり問題となるのは、「割」字の有無です。

 

 では、この問題解決の手懸りとして、はじめに陸徳明『経典釈文』を見てみることにしましょう。『経典釈文』「孝経音義」は「鄭氏注」を底本として採用していますので、『群書治要』所収『孝経』との対校が有効な場合が往々にしてあるのです。この箇所は、上記『群書治要』所引鄭氏注の続きを丁度「孝経音義」が徴引していますので、こちらを見ていきましょう。

 

 『経典釈文』(「孝経音義」)巻二十三(【夾注】は省きます。)

【鄭氏注】:科条三千謂劓、墨、宮割、大辟。穿窬盜竊者「劓」。劫賊傷人者「墨」。男女不与礼交者「宮割」。壊人垣牆、開人関𨷲者「臏」、手殺人者「大辟」。

 

 続いて、敦煌本『鄭注孝経』(P.3428)を見ていきます。

【経】:同上

【注】:五刑有五科、(科)条三千。五刑謂劓、墨、宮割、大辟。穿…<欠>…賊傷人者「墨」。男女不以礼交者「宮割」。逾人垣牆、開人関𨷲「臏」、手殺人者「大…

 『経典釈文』および敦煌本『鄭注孝経』の何れも「宮」字の下に「割」字があることが分かります。また、『群書治要』には見えない、続きの部分に「男女不与礼交者、宮割」とあることからも、前出の「宮割」を後ろでさらに、解釈していることが分かります。

 

 上記に鑑みれば、ここは、本来「宮割」とあるべき箇所だったのではないでしょうか。「尾張本」刊校者はやはり、通行本『孝経』もしくは、『周礼』(秋官・司刑)鄭玄注所引の『尚書大伝』「男女不以義交者、其刑宮」等によってその「割」字を削ったものと思われます。ただ、「宮」一字であってもそれが「宮刑」であることを示すことができますが、「宮」「割」はそれぞれその意味するところが異なるため、「宮割」二字である方がより正確と言えます。以下、参考として、『太平御覧』巻六四八(刑法十四、宮割)所引『尚書刑徳放』を引いておきます。

 

曰、宮者、女子淫亂,執置宮中不得出。割者、丈夫淫,割其勢也。

宮は、女が性にふしだらで、それを捕えて宮中に幽閉すること。割は、男が性にふしだらで、それの勢(生殖器)を羅切(去勢)すること。

 「宮」は女の淫乱に対して、「割」は男の淫乱に対して、処される刑罰であり、同じく淫刑であってもその意味する所が異なるのです。『白虎通徳論』巻八(五刑)にも(王引之『経義述聞』の校勘によれば)同じ文章が見えています。

 

 さて、まとまりなく(「尾張本」)『群書治要』所引『孝経』の改変を見てまいりましたが如何でしたでしょうか?それぞれ、些細な違いではあるものの、(特に後者は)刊校者がもう少し慎重に考証をしていれば、不要な改変と判明するものでした。

 上記の例以外にも、まだまだ、少なからず不要な改変がありそうですが、今回はこのくらいにしておきたいと思います。次回は、本連載とはそれますが、上記、「金沢本」と他二「旧本」の「劓↔」の乙について少し考えてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:「金沢本」「事」字記於傍。

*2:「金沢本」「天」下有「之」字。