半知録

-中国思想に関することがらを発信するブログ-

『日知録』易篇訳「六爻言位」

六爻言位

〔要旨〕

易伝にみえる「位」には、二つの意義がある。一つは人の貴賎の位、もう一つは六爻の位置を表す位である。「位」を一つの意義で解釈しようとしても、牽強付会に陥るだけである。言葉は一つの事柄だけを表すというわけではなく、それぞれに文脈に適した意味を持つ。

 

〔原文〕

易傳中言位者有二義。「列貴賤者存乎位」、五爲君位、二・三・四爲臣位、故皆曰「同功而異位」。而初・上爲無位之爻、譬之於人、初爲未仕之人、上則隱淪之士、皆不爲臣也。【明夷上六爲失位之君、乃其變例。其但取初・終之義者、亦不盡拘。】故乾之上曰「貴而无位」、需之上曰「不當位」。【王弼注需上六曰、「處无位之地、不當位者也」。程子『傳』亦云、「此爵位之位、非陰陽之位」。】若以一卦之體言之、則皆謂之位、故曰「六位時成」、曰「易六位而成章」。是則卦爻之位、非取象於人之位矣。此意己見於王弼略例、但必強彼合此、而謂初・上無陰陽定位、則不可通矣。記曰、「夫言豈一端而已、夫各有所當也」。

 

 〔日本語訳〕

易伝中の「位」と言うのには、二つの意義がある。〔繋辞伝の〕「貴賎を列するのは位にある」というのは、二爻・三爻・四爻を臣下の位となすことに表れている。それゆえ〔繋辞伝に〕「功を同じくして位を異にしている」というのだ。そして初爻と上爻は位がない爻となし、このことを人事で譬えれば、初爻はいまだ仕えていない人のことであり、上爻は隠居した人、ともに臣下ではない。【明夷上六が失位の君とされるのは、変例である。そうではあるが初・終〔には位がない〕の義を取る者は、ことごとく凡例に拘るというわけではない。】それゆえ乾の上爻には「貴くとも位はない」とあり、需の上爻には「位に当たらない」とあるのである。【王弼が需の上六に注して、「位がない地に居るので、位に当たらない者とされる」と言う。程氏の伝でも「これは爵位の位という意味で、〔六爻での〕陰陽の位ではない」としている。】もし一卦の体をもって言えば、みな「位」と言う。それゆえ「六爻の位は時勢に応じて形成される」と言い、「易は六爻の位を分布させて卦爻の文章を成している」と言うのだ。これは卦爻の位を言ったもので、爻の象徴を人の地位に当てはめたものではない。この解釈はすでに王弼の『略例』にみえているが、かならず彼を無理強いして此に合致させ、初爻・上爻に陰陽の定まった位がないと言えば、通じることはできない。『礼記』に「その言はどうして一端のみを表しているといえようか。それぞれに適した意味があるのだ」と言っているではないか。

 

〔解説〕

  初爻と上爻に位はないとする説は、王弼に始まる。それは、『周易略例』弁位にみえる。王弼は、初爻と上爻の象伝には得位・失位といった記述はなく、繋辞伝でも三爻と五爻、二爻と四爻との「同功而異位」を言うものの、初爻と上爻には言及してない。また乾上九文言伝に「貴而无位」や需上六象伝に「雖不当位」とある。以上のことから、初爻と上爻とには陰陽の定位はないと主張する。

 それに対し、顧炎武は、『易』で言う「位」には、貴賎の位と六爻の位の二種類の意味があるとする。貴賎の位では、五爻が君の位で、二爻・三爻・四爻は臣の位とする。しかし、初爻はいまだ臣ではない位、上爻は隠居した位で、貴賎の位はないとする。一卦は、初爻・二爻・三爻・四爻・五爻・上爻の六つの爻を重ねたものである。六爻の位では、その上下それぞれの爻位を表す意味だとする。