半知録

-中国思想に関することがらを発信するブログ-

『日知録』易篇訳「童觀」

童觀

〔要旨〕

童児は、師の教えを受けなければ、何事も完全には習得できない。それでも、観の初六に「童観、小人咎无し」とあるのは、大人には大人の道、小人には小人の道があるからである。「君子吝」ともあるのは、君子が小人の道を行うのは恥ずべきことであるからである。

 

〔原文〕

其在政敎、則不能「是訓是行、以近天子之光」、而所司者籩豆之事。其在學術、則不能「知類通達」、以幾大學之道、而所習者佔畢之文。「樂師辨乎聲詩、故北面而弦。宗祝辨乎宗廟之禮、故後尸。商祝辨乎喪禮、故後主人」。小人則无咎也、「有大人之事、有小人之事」、「雖小道、必有可觀者焉。致遠恐泥」、故君子爲之則吝也。

 

 〔日本語訳〕

童児が〕政教にあれば、「よく順いよく行動し、天子の光明に近づく」ことはできず、司るところはせいぜい祭祀の事柄ぐらいである。学術にあれば、「類を熟知して道理に通じる」ことはできず、大学の道に進もうと願うが、学習したところはなまかじりである。「楽人は歌曲・歌詞をただす役であるから、北面して楽器を鳴らし、宗人・大祝は宗廟の礼を助けるものであるから、形代のうしろに付き添い、商祝は喪礼を助けるものであるから、主人のうしろに付き従う」〔童児はそのような存在にしかなれない〕。〔そうであっても〕小人には咎がないとされるのは、「大人には大人の仕事があり、小人には小人の仕事がある」、「小人の道にも、かならず観るべきところはあるが、遠くに行こうとするには難渋する恐れがある」からである。それゆえ君子がこれを行ったならば、〔観初六の爻辞に「君子は吝」とあるように〕恥ずべきこととされるのである。