半知録

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『日知録』易篇訳「包无魚」

包无魚

〔要旨〕

「魚」は民を喩えられる。魚が逆流して上るのは、民が君主に反抗の気持ちが起こった表れである。姤九四爻辞「包无魚、起凶」とは、そのことを述べたものである。

 

〔原文〕

國猶水也、民猶魚也。幽王之詩曰、「魚在于沼。亦匪克樂。濳雖伏矣、亦孔之昭。憂心惨惨、念國之爲虐」。秦始皇八年、河魚大上。五行志以爲、魚、陰類、民之象也。逆流而上、言民不從君、爲逆行也」。自人君有求多於物之心、於是魚亂於下、鳥亂於上、而人情之所嚮、必有起而收之者矣。

 

 

〔日本語訳〕 

国は水のようなものであり、民は魚のようなものである。『詩経』幽王の詩に「魚が沼地にいる。よく楽しむところではない。潜んで隠れていても、水が浅いので、人に見つけられやすい。世を憂うる心は痛み傷つき、国が虐政を敷いることを思う」とある。秦の始皇八年、河で魚が大いに上流に上ってきた。『漢書』五行志ではそれを解釈して、「魚は、陰類であり、民の象徴である。逆流して上ってきたのは、民が君の命令に従はず反抗する気持ちが起こったからである」とする。人君から多くのことを人民の心に求めることがあれば、そうして魚は下で乱れ、鳥は上で乱れ、人情が向かうところは、必ず反抗の気持ちが起こりこれを抑えようとすることになるであろう。