半知録

-中国思想に関することがらを発信するブログ-

『日知録』易篇訳「以杞包瓜」

以杞包瓜

〔要旨〕

姤の一陰が一番下にあるのは、瓜が生じ始めて、蔓を延ばして上に及ぼうとするようなものである。姤九五爻辞「杞を以て瓜を包む」とは、杞(おうち)を植えて、瓜の蔓が上に及ぼうとすることを防ぐことを言ったものである。

 

〔原文〕 

劉昭五行志曰、「瓜者外延、離本而實、女子外屬之象」。一陰在下、如瓜之始生、勢必延蔓而及於上。五以陽剛居尊、如樹杞焉、【『詩』「南山有杞」、陸璣曰、「杞、山材也。其樹如樗」。『左傳』所謂「杞梓皮革」。】使之無所縁而上。故曰「以杞包瓜」。孔子曰、「惟女子与小人爲難養也」。顰笑有時、恩澤有節、器使有分、而國之大防不可以踰、何有外戚宦官之禍乎。

※「焉」、底本は「然」に作る。原抄本に拠って「焉」に改める。

 

〔日本語訳〕 

 

劉昭の五行志に、「瓜は外に延びて、本体から離れて実る、女子外戚の象徴である」とある。姤では一陰が一番下にあるのは、瓜が初めて生じ、その勢いは必ず蔓を延ばして上に及ぼうとするようである。姤の五爻は陽剛でもって尊位に居るのは、杞(おうち)をここに植え、【『詩経』に「南山に杞がある」とあり、陸璣は、「杞は、山の材木である。その樹木は樗のようである」と言う。『左伝』のいわゆる「杞(おうち)・梓(あずさ)・皮革」のことである。】〔瓜の蔓が〕この木に寄りかかって上に成長することをさせないようにするようなものである。それゆえ「杞でもって瓜を包む」と言うのだ。孔子は、「ただ女子と小人とは養いがたい」と言う。悲しみと喜びには適切な時期があり、恩沢には節度があり、器の使用には身分の区別があり、国が大いに侵されないようにするにはこれらを越えさせてはいけない。そうすれば、どうして外戚や宦官の災いがあろうか。

 〔解説〕

劉昭は、范華の『後漢書』に注釈を付けた人物である。しかし、ここの劉昭五行志の引用は、司馬彪の『続漢書』五行志の文である。黄汝成は、「今曰劉昭當是續漢二字之誤」とする。単なる顧炎武の記憶違いかもしれない。