半知録

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『日知録』易篇訳「艮其限」

艮其限

 

〔原文〕

學者之患、莫甚乎執一而不化。及其施之於事、有扞格而不通、則忿懥生而五情瞀亂。與衆人之滑性而焚和者相去、蓋無幾也。孔子惡果敢而窒者。非獨處事也、爲學亦然。告子不動心之學、至於不得於言、勿求於心、而孟子以爲其弊必將如蹶趨者之反動其心。此艮其限、列其夤之説也。君子之學不然、廓然而大公、物來而順應、故聞一善言、見一善行、若決江河、沛然莫之能禦、而無熏心之厲矣。

慈谿黃氏【震。】『日鈔』曰、「心者、吾身之主宰、所以治事而非治於事。惟隨事謹省則心自存、不待治之而後齊一也。孔子之敎人曰、『居處恭、執事敬、與人忠』。曾子曰、『吾日三省吾身。爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎』。不待言心而自貫通於動静之閒者也。孟子不幸當人欲橫流之時、始單出而爲求放心之説、然其言曰『君子以仁存心、以禮存心』、則心有所主、非虛空以治之也。至於齋心服形之老莊、一變而爲坐脱立忘之禪學、乃始暝目静坐、日夜仇視其心而禁治之。及治之愈急而心愈亂、則曰『易伏猛獸、難降寸心』。嗚呼、人之有心、猶家之有主也。反禁切之、使不得有爲、其不能無擾者勢也、而患心之難降歟」。【省齋記。】又曰、「夫心之説有二、古人之所謂存心者、存此心於當用之地也。後世之所謂存心者、攝此心於空寂之境也。造化流行、無一息不運、人得之以爲心、亦不容一息不運、心豈空寂無用之物哉。世乃有游手浮食之徒、株坐攝念、亦曰存心。而士大夫溺於其言、亦將遺落世事、以獨求其所謂心。迨其心迹氷炭、物我參商、所謂老子之弊流爲申・韓者、一人之身、己兼備之、而欲尤人之不我應、得乎」。【山陰縣主簿㕔記。】此皆足以發明「厲、熏心」之義。【詳又見第二十三卷心學條下】。乃周公已先繫之於『易』矣。

  ※「則」、原抄本は「刻」に作る。

 

 

〔日本語訳〕 

 学ぶ者の憂いは、聖人の道を行っても人民が教化されないことより大きいものはない。その聖人の道を物事に施すにあたって、意見の食い違いがあって通じることができないので、人民に憤怒の情が生じて五情(喜・怒・哀・楽・怨)が錯乱するのである。衆人がその本来の性を乱し中和を毀つこととあい去ること、思うに近いということはない。孔子は果敢に行動して筋が通らない者を憎んだ。このことは、ただ事務を処理することだけでなく、学ぶこともまた同じである。告子の心を動かさない学、言葉で納得できなければ、しいて心に求めるな、に至っては、孟子は、その弊害は躓くとその拍子に数歩走り出す者が反ってその心を動かすようなものであると考えた。これが「其の限に艮まり、其の夤を列く」の説である。君子の学はそうではなく、心が何のわだかまりもなく広く少しの偏りもなく、何事も向こうから来るままに応じる。それゆえ一つの善言を聞き、一つの善行を見るにおよんで、大河の水が勢いよく流れるように、その善を行うことをだれも阻止することはできなく、心を薫陶することの危うさなどない。

 慈谿黄氏の『日鈔』に言う、「心は、我が身体の主宰であって、物事を治めることはあっても物事に治められることはない理由である。ただ物事に従って謹んで内省すれば心はおのずから正しい在り方に居り、物事を治めて後に心と斉一となることを待つことはない。孔子は人に教えて、『家にいても恭しく、仕事をすれば慎ましく、人と付き合えば真心を尽くす』と。曽子は言われた、『わたしは毎日、三度も自分の行いを振り返る。人から相談されたとき忠実であったか。友達と交遊したとき信実であったか。先生から教わったのに習熟していなのではないか』と。これらは、言葉と心に頼らなくてもおのずから動静の間に通底している。孟子は不幸にも人が勝手気ままにふるまおうとする時代にあって、単に口に出して放心を求めるという説を説き始めたが、また彼は『君子は仁でもって心を存養し、礼をもって心を存養する』とも言っているので、心に主体となるところがあり、虚空でもって心を治めるのではない。斎心服形の老荘に至っては、ひとたび変化して坐脱立忘の禅学となり、そうしてはじめて瞑想静座し、日夜、自分の心をまるで仇のように凝視して心を治めることを妨げる。心を治めることが急であればあるほど心はますます乱れ、そうであるから『猛獣を伏させることは簡単だが、一寸の心を落ち着かすことは難しい』と言うのだ。ああ、人に心があるのは、家に主がいるようなもので、反って心を治めることを禁止し、為すことをさせないとすれば、その心が乱れることがない状態にはできないことは、当然の結果であり、心が落ち着かせ難いことを憂えようか」と。また『黄氏日鈔』に言う、「心に関する説には二つある。古人のいわゆる存心は、心を用いるべき場所で存養する。後世のいわゆる存心は、心を空寂の境で養生する。万物の造化は流行し、一瞬も止むことはなく、人はこの止まることはない造化を心得て心を修め、そうであるから一瞬も止むことをゆるさない。心がどうして空寂無用の物であろうか。世には職につかず遊びほうけている者や耕作もせずただ食べるだけの者がいて、ひとり座禅を組み精神を集中させることを、存心と言っている。そうして士大夫はその言に溺れて、世の事を忘れ去り、ひとりそのいわゆる心を求めようとしている。その心と事跡は氷炭のように相違し、物と我は〔二十八宿の〕参宿と商宿のように遠く隔たるに至り、いわゆる老子の弊害が申不害や韓非子といった法家を生み出したようなものである。一人の身にはすでに心が具備しており、人が我に呼応しないことを咎めようとすることは、正しいことであろうか」と。これらはみな「厲きこと心を熏く」の義を発明するに十分である。【詳しくは第二十三巻心学條下を見よ。】そうして周公はまずこのことを『易』に爻辞として繋いだのである。

 

〔解説〕

「慈谿黄氏『日鈔』」とは、南宋の黄震『黄氏日鈔』のこと。その黄震の文は、仏教的用語などがちりばめられていて解釈するのが難しい。例えば、「齋心服形」は、『列子黄帝篇にみえる言葉で、「斎心」は心を清めること、「服形」は、道家の修養術、気を服用して体を養うこと。「坐脱立忘」は、「坐脱」は座禅しながら涅槃に入ること、「立忘」は立ったまま合唱念仏し往生すること。

 なお、『黄氏日鈔』の文中に引かれる「曾子曰」は、『論語』学而篇の文である。その内の「伝不習乎」は、『論語集解』によれば、「習わざることを伝うるか」と読むが、黄震は朱子学を信奉していたというから、朱熹の『論語集註』によって、「伝えられて習はざりしか」と読んで解釈した。