半知録

-中国思想に関することがらを発信するブログ-

『日知録』易篇訳「鴻漸于陸」

鴻漸于陸

〔要旨〕

漸の九三と上九の爻辞「鴻漸于陸」とあり、胡瑗や朱熹などは「陸」を「逵」に改めるべきだとするが、誤りである。朱熹は「逵」と「儀」と韻が合うといっているが、実は押韻していない。鴻は、漸の九三で陸に進み、上九で翻って陸に帰る。上九の爻辞で「鴻漸于陸」とされるのは、退くことも進むこととされるからである。

 

〔原文〕

「上九、鴻漸于陸、其羽可用爲儀、吉」、安定胡氏改「陸」爲「逵」、【鼂氏曰、「其説出於毘陵從事范諤昌」。按『宋史』藝文志、諤昌有『證墜簡』一卷。】朱子從之、謂合韻、非也。『詩』「儀」字凡十見、【柏舟・相鼠・東山・湛露・菁菁者莪・斯于・賓之初筵・既醉各一見、抑二見。】皆音牛何反、不得與「逵」爲叶、而雲路亦非可翔之地、仍當作「陸」爲是。漸至於陵而止矣、不可以更進、故反而之陸。古之髙士、不臣天子、不友諸侯、而未嘗不踐其土、食其毛也。其行髙於人君、而其身則與一国之士偕焉而已。此所以居九五之上、而與九三同爲陸象也。朱子發曰、「上所往進也。所反亦進也。漸至九五極矣、是以上反而之三」。楊廷秀曰、「九三下卦之極、上九上卦之極」、故皆曰「陸」。「自木自陵、而復至於陸、以退爲進也」。巽爲進退、其説竝得之。

 

〔日本語訳〕 

 

〔漸上九爻辞に〕「上九、鴻陸に漸み、其の羽用て儀と為すべし、吉なり」とあり、胡瑗は「陸」を改めて「逵」とする。【晁公武は、「その説は、毗陵県従事であった范諤昌から出たものである」と述べている。考えるに『宋史』芸文志に、諤昌の著作として『証墜簡』一巻が記録されている。】朱子はこの説に従い、韻が合うと言うのは、誤りである。『詩経』では、「儀」の字がおよそ十か所に見え、【柏舟・相鼠・東山・湛露・菁菁者莪・斯于・賓之初筵・既醉にそれぞれ一か所に見え、抑には二か所に見える。】すべて音は牛何の反であり、「逵」と韻が合うとすることはできない。そして〔朱子が「逵」に改めて、雲路の意味だとするが〕雲路もまた飛翔できる場所ではなく、やはり「陸」に作るのを是となすべきである。進んで丘に至って止まり、さらに進むことができない。それゆえ翻って陸に向かう。古の高士は、天子の臣下とはならず、諸侯の友とはならず、いまだかつてその土を踏み、その毛を食らうことはなかった。その行いは人君より高貴で、その身は一国の士と共にするだけである。これが九五の上にあって、九三と同じく陸の象がある理由である。朱子発は、「上に向かって往くのが、進むとされる。〔下に向かって〕返るのも、進むとされる。漸では九五の極に至って、そうして上九は翻って九三に向かう」とし、楊廷秀は、「九三は下卦の極であり、上九は上卦の極である。それゆえともに「陸」と言う。木からまたは丘から、ふたたび陸に至るのは、退くことをもって進むとするからである」としている。巽は進むことと退くことを表すとされ、その説はともに〔この漸卦でも〕確認できる

 

〔解説〕

胡瑗の説は、『周易口義』巻九の漸上九爻辞の注を参照。朱熹周易本義』漸上九爻辞に「胡氏・程氏皆云陸当作逵、謂雲路也。今以韻読之、良是」とあり、「陸」を「逵」に改めれば、「儀」と押韻するということ。『広韻』によれば、「逵」は上平六脂、「儀」は上平五支に置かれ、音が近い。 顧炎武は、『詩本音』において、『詩経』での「儀」の音を「俄」としている。また、顧炎武『顧亭林詩文集』巻四「答李子徳書」に「易漸上九、鴻漸於陸、其羽可用為儀。范諤昌改陸為逵、朱子謂以韻読之良是。而不知古人読儀為俄、不与逵為韻也」とある。