半知録

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『日知録』易篇訳「君子以永終知敝」

君子以永終知敝

 

〔原文〕

讀新臺・桑中・鶉奔之詩、而知衛有狄滅之禍。讀宛丘・東門・月出之詩、而察陳有徵舒之亂。書「齊侯送姜氏於讙」、而卜桓公之所以薨。書「夫人姜氏入」、書「大夫宗婦、覿用幣」、而兆子般・閔公所以弒。昏婣之義、男女之節、君子可不慮其所終哉。

 

〔日本語訳〕 

〔『詩経』の衛国の退廃を歌った〕新台・桑中・鶉奔の詩を読んで、衛国に異民族の狄に滅ぼされる禍があった理由が理解できる。〔『詩経』の陳国の男女の淫乱を歌った〕宛丘・東門・月出の詩を読んで、陳国に夏徴舒の乱が起こった理由が察せる。〔『左伝』に〕「〔礼に反して〕斉侯が姜氏を送りだした」と書けば、桓公が〔斉国で〕薨じた理由が予測できる。「夫人姜氏が入る」と書き、「大夫の宗婦が、謁見して礼物を捧げた」と書けば、子般と閔公とが弑された理由が予見できる。君子は、婚姻の義、男女の節がもたらす結果を考えないでよいことがあろうか。

 

〔解説〕

 新台は、『詩経』国風・邶風の詩。その詩序および朱熹は、新台を衛国の宣公を誹る詩だとする。桑中は、『詩経』国風・鄘風の詩。その詩序および朱熹は、衛国の風俗が淫乱となったときの詩だとする。鶉奔は、『詩経』国風・鄘風・鶉之奔奔のこと。その詩序および朱熹は、鶉之奔奔を衛人の宣姜と公子頑が通じ合っていることを誹った詩だとする。「衛有狄滅之禍」とは、衛国が、異民族の狄に襲われ、君主の懿公が戦死するとともに、都を攻め滅ぼされたことを指す。

 宛丘・東門・月出之詩は、『詩経』の一首。その詩序によれば、いずれも陳国の男女の淫乱を誹った詩だとされる。

「陳有徴舒之亂」とは、陳の霊公が、夏徴舒の邸宅で酒宴が催された際、霊公の軽口が夏徴舒の恨みを買い、射殺されてしまった事件を指す。

「書齊侯送姜氏於讙」は、『春秋左氏伝』桓公三年の文。『左伝』は、斉侯自ら姜氏を送りだしたのは、非礼であるとする。凡例として、公女を嫁ぎ先の国に送りだすときは、君主と公女の類縁関係によって送り出す者が変わる。しかし、公自らは送らないとする。

「卜桓公之所以薨」とは、『春秋左氏伝』桓公十八年、魯の桓公は、夫人の姜氏とともに斉に行こうとした。魯の大夫の申繻は、それは礼に違うことであり、必ず禍に遇うことになるとして諫めたが、桓公は、斉に赴いた。そして斉侯と姜氏が姦通する。桓公は姜氏を責めると、姜氏はそれを斉侯に告げた。斉侯は、桓公を公子の彭生の車に同乗させ、桓公はその車の中で薨じたこと。

「夫人姜氏入・大夫宗婦覿用幣」は、ともに『春秋左氏伝』荘公二十四年の文。公が同性大夫の婦人を謁見する際、大夫と同じ礼物を捧げるのは、非礼であるとする。

「子般閔公之所以弒」は、『春秋左氏伝』荘公三十二年、荘公は薨じ、孟任との子である子般がいったん国君の位に就いたが、共仲が圉人の犖に命じて殺させた。そして、姜氏との子である閔公を擁立させた。その二年後、共仲は卜齮をそそのかして、閔公を殺させたこと。