半知録

-中国思想に関することがらを発信するブログ-

『日知録』易篇訳「繼之者善也成之者性也」

繼之者善也成之者性也

 

〔原文〕

「維天之命、於穆不已」、繼之者善也。「天下雷行、物與无妄」、成之者性也。是故、「天有四時、春秋冬夏、風雨霜露、無非敎也。地載神氣、神氣風霆、風霆流形、庶物露生、無非敎也」。

「天地絪緼、萬物化醇」、善之爲言、猶醇也。曰何以謂之善也。曰、「誠者、天之道也」。豈非善乎。

 

 

 〔日本語訳〕

「天の命は、まことに深淵で止むことはない」とあるのは、(天の命を)受け継ぐ者が善であるからである。「天の下に雷が動けば、物に妄りにはならないことを与う」とあるのは、(天の命によって)形成された者が性であるからである。そのことから、〔『礼記』に〕「天には四時の季節あって、春秋冬夏と風雨霜露のはたらきは、人君の模範とならないものはない。地は神気で満たされており、その神気とは風と霆のことである。風と霆が形を与えて、万物は発生する。このことも人君の模範とならないものはない」とあるのである。

 〔繋辞伝に〕「天地陰陽の気が密接にまじりあうことによって、万物は化して厚く凝る」とあり、善というのは、この「厚く凝る」のようなものである。どうしてこれを善であるのかと言えば、いわく、〔『礼記』中庸にあるように〕「誠は、天の道であるからである」。どうして善でないことがあろうか。

 

〔解説〕

「天下雷行、物与无妄」は、无妄の象伝で、王弼は、「與、辭也、猶皆也。天下雷行、物皆不可以妄也」と解し、「物与な妄无し」と読んでいる。一方、『伊川易伝』では、「雷行於天下、陰陽交和、相薄而成聲。於是驚蟄蔵、振萌芽、發生萬物、其所賦與、洪纎高下、各正其性命、无有差妄、物與无妄也」と、「物ごとに无妄を与ふ」と解す。顧炎武は、おそらく『伊川易伝』の方向で考えていると思われるので、程伝に従って読んでおく。