半知録

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『講周易疏論家義疏』釋讀(四)

【原文】

第六釋上九「上九亢龍有悔」。舊説劉先生[1]等云、「故譬聖德(之)之人、而成亢龍之誡、有類周公之才、使驕且恡、其餘不足觀也」。今義不(熊)[然]、何故。亢心成悔、故言「窮之灾也」[2]。又云「知進而忘退、知得而不知喪」[3]、但是凡愚之行、那得爲聖之誡乎。自古至今、无道愚主如有傑紂之類、直譬而已、祇足爲戒耳。天時而言、无射之律也。陽氣究物、使陰気畢剥落之、終而復始、无猒之義也。位於(成)[戌]、位九月、陰呂應鐘、該万物而(新)[雜]陽[閡]種也[4]。位亥、十月、坤上六之爻也。

 

【日本語訳】

第六、上九を釈す。「上九亢龍に悔有り」。旧説では、劉先生らは「聖德の人を譬えて、亢龍の誡めを成したのである。周公のような才があったとしても、驕りかつ妬ましたら、その他は観るに値しない」と言う。今、その義は正しくない。なぜか。亢心に悔いがあるので、「窮まることの災い」だと言うのである。また「進むこと知って退くことを忘れ、得ることを知って失うことを忘れる」と言うのは、ただ凡愚の行いであり、これがどうして聖人のための戒めとすることができようか。古から今に至るまで、無道の愚主、桀紂のような類を、ただ譬えるだけで、戒めとするに足る。天時で言えば、(上九は)无射の律である。陽気が物を究め、陰気にことごとく剥落させ、終われば再び始まる。これが(无射の)厭うことがないという義である。(上九の爻は)戌に位し、九月に在り、陰呂である応鐘は、万物を包み陽気を雑えて種を作る。亥に位し、十月であるのは、坤の上六の爻である。

 

【注釈】

[1] 「劉先生」とは、劉宋から南斉にかけて活躍した劉瓛のことだとされる。その著作には、『周易乾坤義疏』『周易繋辞義疏』『周易四徳例』があったとされる。しかし、そのすべてが散逸しており、わずかな佚文しか残されていない。その輯佚書としては、黄慶萱『魏晋南北朝易学書考佚』(華東師範大学出版社、二〇一二年)が最も完備している。

[2] 文言伝「亢龍有悔、窮之災也」。

[3] 同上「亢之為言也、知進而不知退、知存而不知亡、知得而不知喪。其唯聖人乎」。

[4]漢書』律暦志「亡射、射、厭也。言陽氣究物而使陰氣畢剝落之、終而復始、亡厭已也。位於戌、在九月。應鐘、言陰氣應亡射,該臧萬物而雜陽閡種也。位於亥,在十月」。孟康注「閡、臧塞也。陰雜陽氣、臧塞為萬物作種也」。ここもほぼ『漢書』律暦志の文に依拠している。原本では「新陽種」に作るが、「新」は「雑」の誤り、「種」の前に「閡」が脱落していると思われる。従って改めた。