半知録

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『日知録』易篇訳「兌為口舌」

兌為口舌

【原文】

「兌爲口舌」、其於人也、但可以爲巫爲妾而已。以言説人、豈非妾婦之道乎。

凡人於交友之閒、口惠而實不至、則其出而事君也、必至於「静言庸違」。故舜之禦臣也、「敷奏以言、明試以功」。而孔子之於門人、亦「聽其言而觀其行」。

『唐書』言「韋貫之自布衣爲相、與人交、終歳無款曲、未嘗僞辭以悦人」。其賢於今之人遠矣。

 

【日本語訳】

 「兌を口舌とする」とは、その人となりは、ただ巫や妾となれるだけということである。言葉をもって人に説くのは、妾婦の道でないことがあろうか。

 およそ人の交友関係において、口ではいいことを言っても実が伴わなければ、その出仕して君に仕えても、かならず「言うことは立派だが用いれば違う」といった状態に陥る。それゆえ舜が臣を制御する際、「奏を陳述させるときは言葉でさせ、その実功ではっきりと試した」。そして孔子が門人たちに対するのにも、「その言葉を聞いてその行いを観た」。

 『唐書』に「韋貫之は平民から高位に至り、人と交わる際、終生、うちとけることはなく、いまだかつて辞を偽ってまで人を喜ばそうとすることはなかった」とある。その賢は今の人が及ぶところではない。