半知録

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『講周易疏論家義疏』釋讀(五)

【原文】 

「用九、見群龍无首吉」。『子夏伝』[1]云「用九、純九也」。馬季長[2]云「用九、用純九之道也」[3]。夫九者、關陽之目、設表陽德之名。陰攝陰用[4]、太和[5]能通、故別稱聖[6]而陳用九之義。論家云純陽者、是天家之德[7]。天家之德、復爲万物之源。故以罡[8]健爲體、无滯是用也。案此用九即有二義、第一境、第二智[9]。境智之義、如文外釋、而略明境體、嘗通其義[10]。乾有四徳[11]、體即太和、理(點)[顯]四象[12]、易[13]和智配焉[14]。故聖智者、自用乾象之德、可謂九用之人也[15]。夫群龍者、冥理之群聖也、故有感應之理矣。釋曰、若以用九之道而見群龍之心、但言无首之心、是吉之道也。群龍之心雖復无異、應中[16]之迹誠是多端。乾九四自有或跳之象[17]、坤上六亦致龍戰之禍[18]、百姓見事、未達其理、誹謗聖迹、輕猒應道[19]、故更陳用九之心而暢群龍之(理)[理]。世上仁者、尚无凌之情。冥理群龍、豈有爲首之・・・・・・

 後人注解、相從卦類而説之。王弼留此乾坤二卦、猶不分配者、欲存其本柄、見其義[20]。且復乾坤教本、欲異雜象者也。

 

【日本語訳】

第三釋用九義 六爻竟釋 合義用九

 「用九、見群龍无首吉」。『子夏伝』に言う「用九は、純九である」と。馬融は「用九は、純九の道を用いることである」と言う。九は、陽の要目に関わり、陽徳を表すために設けた名である。陽は陰の用を兼ね、太和は通ずることができる。それゆえ聖を(龍)と別称して用九の義を陳述したのである。論家は言う、純陽は、天の徳である。天の徳は、また万物の源である。それゆえ剛健を体となし、滞ることがないことが用である、と。考えてみるに、この「用九」には二義がある。第一は境、第二は智である。境智の義は、〔『易』自体にはなく〕他の解釈のようではあるが、おおかた境体を明らかにすれば、これまでその義に通じた。乾に四徳があり、体はすなわち太和で、理は四象に現れ、『易』では智と調和し配される。それゆえ聖智は、みずから乾象の徳を用い(総べ?)、九用(用九)の人だと言うことができる。群龍は、冥理の群聖である。それゆえ感応の理がある。釈して言う、もし用九の道をもってして群龍の心を見、ただ首(かしら)とはならない心を言えば、それは吉の道である。群龍の心はまた異なることはないとはいえ、聖人の心に応じて現れた事跡は誠に多事である。乾の九四はみずから疑いて跳躍する象であり、坤の上六もまた龍戦の禍を致す。百姓はその(聖人が疑ったり、戦禍を招いたりする)事を見て、いまだその道理を理解せず、聖迹を誹謗し、聖人の道に応ずることを軽んじ厭う。それゆえさらに用九の心を陳述し群龍の理を滞りなく通じさせた。世上の仁なる者は、物を凌ぐことがない情を尊ぶ。冥理である群龍は、どうして首(かしら)の・・・・・・となることがあろうか。

 後人の注解は、卦の類似に従って説く。王弼がこの乾坤二卦の形を留めて、なお分配しなかったのは、その本来の形を保存して、その義を示そうと欲したからである。さらに、乾坤を教えの本に復帰させ、その他の卦の雑象と異にしようと欲したからでもある。

 

【注釈】

[1] 『子夏伝』は佚書。その著者については諸説ある。現存する『子夏易伝』十一巻本は、偽書とされる。詳しくは、陳鴻森「「子夏易傳」考辨」(『歷史語言研究所集刊』第五十六本第二分、1985)を参照のこと。この佚文は、他の文献には見えない。

[2] 馬季長とは、後漢の人である馬融のこと。馬融の易注は、散逸している。この佚文は、他の文献には見えない。

[3] 劉瓛は、「六爻純陽の義を総べるので、『用九』と言う(總六爻純陽之義、故曰用九也)」(『周易集解』用九引)とする。また唐の史徴撰『周易口義訣』に「用、總也」とあるように、「用九」の「用」は、「総(す)べる」と解されていた。王弼は、文言伝「乾元用九、天下治也」の注で「九は陽のことである。陽は剛直の物である。全く剛直を用い、よく媚びる者を放棄することができるのは、天下が至理でなければ、よくすることはできない。それゆえ乾元用九であれば、天下治まるのである(九陽也。陽剛直之物也。夫能全用剛直、放遠善柔、非天下至理、未之能也。故乾元用九、則天下治也)」と言う。一応、ここの「用」を「もちいる」で訳したが、「すべる」で解することもできる。ここの『正義』の解釈を見ても、「用」をどのように読むべきなのか明確でない。ただ、坤の用六では「用六、永く貞しきに利ありとは、坤の六爻の総辞である(用六利永貞者、此坤之六爻緫辭也)」とあり、また『春秋正義』には「乾の六爻はみな陽、坤の六爻はみな陰、二卦の爻が完全に純であるので、別にその用を総べて辞をなした。それゆえ乾に用九があり、坤に用六がある(乾之六爻皆陽、坤之六爻皆陰、以二卦其爻既純、故別揔其用而爲之辭。故乾有用九、坤有用六)」とするように、「用」を「総(す)べる」の方向で解釈するのが一般的であったようである。なお朱熹は、「用九」「用六」の「用」を「もちいる」で読んでいる。しっかりと調べていないが、「用」の解釈は、唐までは「すべる」でよく読まれ、宋以降から「もちいる」と読む者が多くなっていったという印象である。

 さて、ここで引かれている『子夏伝』は、「用」を「純」と解していると見える。一方、馬融の解釈は、判然としない。ひとまず「もちいる」で訳したが、「すべる」でも解せる。

[4] 乾の初九爻辞の『周易正義』に「乾体☰は三画あり、坤体☷は六画ある。陽は陰を兼ねることができるので、その数は九、陰は陽を兼ねることができないので、その数は六なのである(乾體有三畫、坤體有六畫。陽得兼陰、故其數九、陰不得兼陽、故其數六)」とある。

[5] 乾彖伝に「乾道變化、各正性命、保合大和、乃利貞」とある。現行本では、「大和」に作るが「太和」と作る本もある。ここでは、「太和」に作る本にもとづいたのであろう。

[6] 下文に「夫群龍者、冥理之群聖也」とあり、『義記』では、「龍」は「聖」を意味しているとしていたことが知れる。そうすると、「別稱聖」とは、乾の爻辞で「聖」を「龍」と言い換えた、という意味だと考えられる。

[7] 「天家」は、「天」の意味。ここの「家」は接尾語。この用法は、仏教経疏によくみられる。以上のことは、谷継明の校箋のp.3注⑦を参照した。用九爻辞の王弼注に「九、天之德也」とある。

[8] 「罡」は、「㓻」の書き誤り。「㓻」は、「剛」の異体字である。

[9] 「境」「智」は、南北朝仏教義疏中でよく使われる術語である。この『義記』でも、よく使われている重要な概念である。『易』を「境」「智」で解釈することは、他ではみられず、『義記』独特である。南北朝とくに南朝での『易』と仏教の融合の一側面を表わしていると言える。谷継明によれば、『義記』では、「境」は認識の主体、「智」は対象を指しているとする。

[10] 谷継明は、この一段を、境智の義は、この疏文の別に詳論がある。境体についてもかつてそこで明らかにした、ということを言っているとする。「如文外釈」は、「已出文外」という意味で、古義疏常用の科段の術語だとする。

しかし、別の読み方ができるのではないかと思う。「如文外釈」は、「文外の釈の如し」と読み、境智の義は、『易』の文にはない解釈のようである、と言う意味で、以下、『易』を理解する上で「境」と「智」が重要な概念であることを説明しているのではないか。訳は、以上に従って訳した。

[11] 四徳とは、乾の卦辞「元亨利貞」のこと。その『正義』に「『元亨利貞』とは、乾の四徳である。『子夏伝』に『元は始め、亨は通じる、利は和す、貞は正しい』と言う(「元亨利貞」者、是乾之四德也。『子夏傳』云「元始也。亨通也。利和也。貞正也」。)」とある。

[12] 繋辞伝上に「兩儀生四象四象八卦」とある。「四象」について、虞翻は「四時」(『周易集解』)だと言い、『正義』は「金木水火」を指すと言う。なお谷継明は「點」を「顯」の誤りとするが、それほど根拠があるものではない。議論の余地がある。

[13] 谷継明は、「易」を「而」の誤りだと疑う。確かに「而」の方がよいように思うが、ここでは原文のままとする。

[14] 文言伝の「至乾元亨利貞」の『正義』に、「五事(仁・義・礼・智・信)を施すことで言えば、元は仁、亨は礼、利は義、貞は信である。智を論じないのは、この四事を行うためには、並びに知の助けを受けなければならない。かつ『乾鑿度』に「水土二行は、信と知とを兼ねる」と言う。それゆえ略して言わなかったのである(施於五事言之、元則仁也、亨則禮也、利則義也、貞則信也。不論智者、行此四事、並須資於知。且『乾鑿度』云「水土二行、兼信與知也」、故畧而不言也」とある。同様な議論が『義記』でもなされている(谷継明校箋での番号【5.2.1.1.2.4】)。

[15] 「智」が、「仁(元)」「礼(亨)」「義(利)「信(貞)」を統括しているとすれば、ここの「用」も「総(す)べる」で解釈すべきかもしれない。「九用之人」は、「用九之人」の誤りとも考えうる。

[16] 「応中」という言葉は、他ではあまり見られない。おそらく「応中の迹」とは、群龍の心すなわち群聖の心に応じて実際に物事として現れた事跡のことを意味しているのだと思う。

[17] 乾九四爻辞「或躍在淵、无咎」。ここの「或」は、文言伝に「或之者、疑之也」とあるように、「うたがう」の意味。

[18] 坤上六爻辞「龍戰于野、其血玄黃」。

[19] 「応道」が何を指しているのかはっきりとはわからない。上文に「感應之理」などあることから、「感応の道」なのかもしれないし、「聖人の道に応ずること」という意味でも取れる。一応、ここでは後者で訳しておく。

[20] 現行の王弼注本は、乾は卦辞・爻辞の後に彖伝・象伝・乾の文言伝が置かれる。その次の坤以下は、卦辞の後ろに彖伝・大象伝が続き、各爻辞の後に小象伝が置かれる形となっている。陸徳明『経典釈文』周易音義の記載の順序は、現行本の形である。この『義記』の記録によれば、王弼注本は、坤も乾と同じ形式であったことになる。南北朝時代には、以上の二つの形式の王弼注本があったのだろう。果たしてどちらが本来の形であったのかは分からない。