半知録

-中国思想に関することがらを発信するブログ-

『日知録』易篇訳「晉晝也明夷誅也」

晉晝也明夷誅也

 

【原文】

蘇氏曰、「『晝日三接』、故曰晝。『得其大首』、故曰誅。晉、當文明之世、群後四朝而車服以庸、揖譲之事也。明夷、逢昏亂之時、取彼兇殘而殺伐用張、征誅之事也。一言晝、一言誅、取其音協爾。【晝古音注。『易林』及張衡西京賦竝同。虞仲翔曰、「誅、傷也」。『本義』用之與晝義相對、不切。】

 

【日本語訳】

蘇氏は言う、「〔晋の卦辞に〕『一日のうちに三度も接見を許される』とあるので、昼というのだ。〔明夷九三爻辞に〕「その大首を得る」とあるので、誅と言うのだ」と。晋は、文明の世に当たり、群衆が後に四方から来朝し車服をもってその功を労う、うやうやしく謙る事である。明夷は、混乱の時に遇い、かの残賊を取り除きその討伐の功は大いに拡張する、征伐誅殺の事である。一つに昼と言い、一つに誅と言うのは、その音が協うためである。【昼の古音は注である。『易林』や張衡の西京賦でも同じである。虞仲翔は、「誅とは、傷つけるということ」としている。『周易本義』では、この義を用いて昼の義と対応させているが、適合していない。】

【解説】

ここは、雑卦伝「晋、昼也。明夷、誅也」に対する解釈である。「蘇氏」は、蘇軾のこと。『東坡易伝』の引用である。