2022-01-01から1年間の記事一覧
孔子論易 〔原文〕 孔子論『易』、見於『論語』者二章而已。曰「加我數年、五十以學易、可以無大過矣」、曰「南人有言、曰『人而無恒、不可以作巫醫』。善夫、不恒其德、或承之羞」。子曰、「不占而已矣」。是則聖人之所以學易者、不過庸言庸行之閒、而不在…
晉晝也明夷誅也 【原文】 蘇氏曰、「『晝日三接』、故曰晝。『得其大首』、故曰誅。晉、當文明之世、群後四朝而車服以庸、揖譲之事也。明夷、逢昏亂之時、取彼兇殘而殺伐用張、征誅之事也。一言晝、一言誅、取其音協爾。【晝古音注。『易林』及張衡西京賦竝…
漢代揲筮考(一)の続き。漢代での揲筮の在り方について探求していく。 唐の孔頴達は、一爻の老陽・老陰・少陽・少陰を決める際、「四営」によって四十九本から取り除かれた蓍から考える。「四営」とは、 一、四十九本を両手で二分する。 二、左手に持つ蓍か…
『宋書』符瑞志上 漢高帝父曰劉執嘉。執嘉之母、夢赤鳥若龍戱己、而生執嘉、是為太上皇帝。母名含始、是為昭霊后。昭霊后游於洛池、有玉鷄銜赤珠、刻曰玉英、吞此者王。昭霊后取而吞之、又寝於大沢、夢与神遇。是時靁電晦冥、太上皇視之、見蛟龍在其上、遂有…