半知録

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魏晋南北朝

劉邦の父母の名は

『宋書』符瑞志上 漢高帝父曰劉執嘉。執嘉之母、夢赤鳥若龍戱己、而生執嘉、是為太上皇帝。母名含始、是為昭霊后。昭霊后游於洛池、有玉鷄銜赤珠、刻曰玉英、吞此者王。昭霊后取而吞之、又寝於大沢、夢与神遇。是時靁電晦冥、太上皇視之、見蛟龍在其上、遂有…

年号の名づけ方について

『宋書』礼志一 魏明帝初、司空王朗議、「古者有年數、無年號、漢初猶然。或有世而改、有中元・後元、元改彌數、中・後之號不足、故更假取美名、非古也。述春秋之事、曰隱公元年、則簡而易知。載漢世之事、曰建元元年、則後不見。宜若古稱元而已」。明帝不從…

劉宋時代の囲碁の名人褚胤

『宋書』羊玄保伝 呉郡褚胤、年七歲、入高品。及長、冠絶当時。胤父栄期与臧質同逆、胤応従誅、何尚之請曰、「胤弈棋之妙、超古冠今。魏犨犯令、以才獲免。父戮子宥、其例甚多。特乞与其微命、使異術不絶。」不許。時人痛惜之。 呉郡の褚胤は、年七歳にして…

五月五日に子供を産んではいけない?

五月五日は、こどもの日。この日には、鯉のぼりを天高く泳がせたり、五月人形を飾ったりして、子供たちの健康を祝福する人も多いのではないでしょうか。こどもの日は、祝日法2条によれば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝す…

劉宋明帝の子の幼名の命名法

『宋書』の本紀を読んでいると、興味深い記述があった。それは明帝の子の幼名の名づけ方についてである。 太宗諸子在孕、皆以周易筮之、即以所得之卦為小字、故帝字慧震。其余皇子亦如之。 太宗(明帝)は子供たちがお腹の中にいる段階で、みな『周易』で占…

『宋書』符瑞志の瑞祥記録の典拠はなんだろう?

劉宋王朝の正史である『宋書』を読んでいて、気になるところがありました。『宋書』に符瑞志というのがあり、その名の通り吉兆や瑞祥を記した一篇です。巻上・中・下に分けられ、巻上は伏羲をはじめとする古帝王や前漢から宋までの皇帝に現れた吉兆を記し、…

慶応大蔵『論語義疏』巻六について

『論語義疏』とは、中国南北朝時代、南朝の梁(502年 - 557年)において編纂された、『論語』の「義疏」(注釈書)である。中国では宋代以降に散佚したが、江戸時代の儒者根本遜志が日本伝来の旧鈔本を底本に刊行したものが清代に逆輸入された。その著者は梁…

顧野王『符瑞図』の構成

南朝の梁から陳にかけての人に顧野王(五一九年-五八一年)がいる。彼は、『玉篇』を編んだことでつとに有名である。そればかりではなく多数の書物を編纂しており、その中に『符瑞図』がある。『符瑞図』は、その名の通り、めでたいしるしである瑞祥につい…

虞翻の生没年に対する疑義

虞翻という人物を知っている人は少なくないと思う。三国志などのゲームに登場するからである。しかも、そこそこ強い。虞翻は、呉の孫策・孫権に仕えた人物である。虞翻の生没年は、ゲーム内や辞書でも164年-233年とされる。しかし、『三国志』呉書・虞翻伝を…