半知録

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『日知録』易篇訳「卦變」

卦變

〔要旨〕

卦変説は、孔子に始まるわけではなく、周公の爻辞にすでにみえている。卦変説は、乾・坤からの変化を基礎とするのであり、十二消息卦の変化に拠るのではない。

 

 〔原文〕

卦變之説、不始於孔子、周公繫損之六三已言之矣、曰、「三人行則損一人、一人行則得其友」。是六子之変、皆出於乾坤、無所謂自復姤臨遯而來者、當從程『傳』。【蘇軾・王炎皆同此説。】

 

〔日本語訳〕 

 卦変の説は、孔子に始まるというわけではなく、周公が損の六三に辞を繋いだ段階ですでにそのことを言っている、「三人(乾☰)行けば一人(九三)を損し〔そうして損の内卦が☱となり〕、一人(九三)行けばその友(上爻)を得る〔そうして損の外卦が☶となった〕」と。これは、六子(震・坎・艮・巽・離・兌)の変化は、すべて乾・坤より出で、いわゆる復・姤・臨・遯〔といった十二消息卦〕から来た卦はなく、〔すべての卦が乾坤の変化にもとづくとする〕程頤の『伝』に従うべきである。【蘇軾・王炎はみなこの説に同じである。】

 

〔解説〕

 顧炎武は、卦辞は文王、爻辞は周公が作ったとするので、損の六三爻辞に卦変による解釈があることをもって、卦変説は周公の時にはあったとするのである。

 ただ王弼は、損の六三爻辞を卦変説では解釈していない。『周易程氏易伝』および『周易本義』は卦変でもって説明しており、顧炎武はこれに則ったのである。

 震・坎・艮・巽・離・兌がなぜ「六子」と呼ばれるのか。それは、乾は父、震は長男、坎は中男、艮は少男、坤は母、巽は長女、離は中女、兌は少女を象徴するとされ、父母である乾・坤に対し、震・坎・艮・巽・離・兌はその子供だからである。

 「いわゆる復・姤・臨・遯〔といった十二消息卦〕から来た卦」とは、乾坤を除く六十二卦が十二消息卦の卦変から生み出されるという説を指している。十二消息卦とは、復䷗・臨䷒・泰䷊・大壮䷡・夬䷪・乾䷀・姤䷫・遯䷠・否䷋・観䷓・剥䷖・坤䷁の十二卦を陽あるいは陰が一爻ごとに伸長する卦を指す。朱熹の『周易本義』巻一にみえる「卦変図」が、そうである。それに対し、程頤は、乾坤が変化して六子が生じ、八卦が重なって六十四卦が成ったとし、すべての卦は乾坤の変化にもとづくと考えていた。顧炎武は、朱熹ではなく、程頤の説を採ったのである。