半知録

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『日知録』易篇訳「卦爻外無別象」

卦爻外無別象

〔要旨〕

文王と周公は、卦の形象がもつ意義を観察して占辞を書き足した。孔子は伝を作ったが、決して一象も増設しなかった。しかし、荀爽・虞翻の徒が、本来の卦象の他に新たな象を生み出し、『易』の大旨を乱した。王弼がそうした余計なものを排除し、程頤が受け継ぎ、その大義が保たれることになった。

 

〔原文〕

聖人設卦觀象而繫之辭、若文王・周公是已。夫子作傳、伝中更無別象。其所言卦之本象、若天地雷風水火山澤之外、惟「頤中有物」、本之卦名、「有飛鳥之象」、本之卦辭、而夫子未嘗增設一象也。荀爽・虞翻之徒、穿鑿附会、象外生象、以「同聲相應」爲震・巽、「同氣相求」爲艮・兌、「水流濕、火就燥」爲坎・離、「雲從龍」則曰乾爲龍、「風從虎」則曰坤爲虎。十翼之中、無語不求其象、而易之大指荒矣。豈知聖人立言取譬、固與後之文人同其體例、何嘗屑屑於象哉。王弼之注雖渉於玄虛、然已一埽『易』學之榛蕪、而開之大路矣。【王輔嗣『略例』曰、「互體不足、遂及卦變。變又不足、推致五行。一失其原、巧喻弥甚」。】不有程子、大義何由而明乎。

『易』之互體・卦變、『詩』之叶韻、『春秋』之例日月、經説之繚繞破碎於俗儒者多矣。『文中子』曰、「九師興而易道微、三傳作而春秋散」。

 

〔日本語訳〕 

 

 聖人が卦を設けその形象がもつ意義を観察して占辞を書き足したのは、文王と周公がそうである。孔子がその伝である十翼を作り、伝中に書かれている他にさらに別の象はない。十翼で言うところの本象、天・地・雷・風・水・火・山・沢の他に、〔噬嗑の彖伝に〕「頤中に物有り」とあるのは、その〔噬嗑の〕卦名にもとづき、〔小過の彖伝に〕「飛鳥の象有り」とあるのは、その〔小過の〕卦辞にもとづいたのであり、孔子は決して一象を増して設けたわけではない。荀爽・虞翻の徒が、穿鑿付会して、本来の象の他に新たな象を生み出し、「〔雷・風の〕同声が応じあう」ことをもって震・巽と結びつけ、「〔山・沢の〕同気が求めあう」ことをもって艮・兌と結びつけ、「水は湿地に流れ、火は乾燥したものに付く」ことをもって坎・離と結びつけ、「雲は龍に従う」ので乾は龍を表すとし、「風は虎に従う」ので坤は虎を表すとした。十翼の中で、占辞は十翼にある象で求められないものはないのだが、〔『易』に典拠がない象をもって解釈する荀爽・虞翻の徒によって〕『易』の大旨は荒れてしまった。どうして聖人が言を立てて譬えを取るあり方は、後の文人とその体例を同じくすることを知っていながら、なぜかつては象にあくせくとしていたと思うのか。王弼の注は老荘的な解釈をするとはいえ、易学の余計なものを一掃して、〔『易』の義理を重視する〕大路を開いた。【王弼の『周易略例』で「互体では足りず、ついに卦変での解釈に及んだ。卦変でもまだ足りず、五行を持ち込むようになった。ひとたびその源を失えば、巧みな解釈がますますひどくなっていった」と言っている。】程頤がいなければ、〔王弼の〕大義は何に拠って明らかになったであろうか。

 『易』の「互体」・「卦変」、『詩』の「叶韻」、『春秋』の「例日月」といったように、経説が俗儒によって迂遠で支離滅裂にされてしまったものは多い。『文中子』に「九師が興って易道は衰え、三伝が作られて『春秋』がばらばらになってしまった」とある。

 

〔解説〕

『易』の八卦には、万物の象徴が内包されているとされる。その八卦の象徴は、十翼の一つである説卦伝にまとめられている。後漢から三国までの易学者である荀爽・虞翻は、説卦伝にみえる卦象に拘泥せず、新たな卦象を生み出した。とくに虞翻が案出した卦象は、恵棟の集計によれば、四百五十六象にも及ぶ。

 三国・魏の王弼は、そうした卦象による解釈を批判し、人事にひきつけ老荘思想をもって『易』を解釈した。それを義理易と呼ぶ。北宋の程頤の『周易程氏伝』は、王弼注を範としており、象数易的解釈を用いていない。『周易程氏伝』において繋辞伝・説卦伝・雑卦伝に伝がないのは、王弼に倣ったからだとされる。

 『易』の「互体」・「卦変」については、以降の条を参照。

 『詩』の「叶韻」とは、『詩経』などの古詩において、押韻させるために、本来の読みを全く変えて韻を合わせる説である。合韻、協韻とも言う。叶韻は、明の陳第が『毛詩古音考』にて否定的な見解を示し、現在、成り立たないことがわかっている。

 『春秋』の「例日月」とは、『春秋公羊伝』に特徴的な解釈法で、『春秋』の経文に記録された「日」や「月」等の有無に「春秋の義」を読み取ろうとする説のことである。