半知録

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野間文史先生の学問とその人ーその弐

 

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  その壱👆、では野間先生の出生から助手時代までを追った。今回はその後、新居浜高専に就職されて母校の広島大学に戻られるあたりまでの経歴と学問を追ってみようと思う。

 

新居浜高専時代~広大中哲に戻られるまで

 1976年、28歳の時に専任講師として愛媛県新居浜工業高等専門学校に就職される。以降13年間新居浜高専にて奉職されるのであるが、この間に発表された論文は現在の野間先生の学問を形成する基礎となるものであった。助手時代から続いた、「説話」シリーズは前回あげた二つに続き「孫叔敖攷(続)」*1を書かれたものの、これを最後に野間先生がこの方面の論文をお書きになることはなかった。以降、野間先生は1年一本もしくは二本というペースで自身のお勤めになる新居浜高専の『紀要』に寄稿を続けられる。だが、注目すべきはその内容である。1980年~1985年『春秋正義』(三伝)、1986年~1987年『尚書正義』、1988~1989年『儀礼正義』『周礼正義』、とそれぞれの引書索引を毎年一本(『左伝』3年、『穀梁伝』1年、『公羊』1年etc)のペースで完成させている。そして、その成果は「五経正義所引定本考」*2、「引書からみた五経正義の成り立ち-所引の緯書を通して-」 *3、「引書からみた五経正義の成り立ち-書伝・書伝略説・洪範五行伝を通して-」*4これらの論文に結実する。上記論文はいずれも博士論文である「五経正義の研究-その成立と展開-」の一部をなしている。

 では、野間先生が「五経正義」研究にシフトチェンジされたきっかけは何だったのであろうか。前回紹介したインタビュー記事の中で少しではあるがその動機について語られている。

 質問者:「野間先生が中国学の中でも経学研究を選ばれたのは、どなたかの影響を受けてのことなのでしょうか?」

野間先生:「直接教えを受けた恩師に言及するならば、当然必ず池田末利先生と御手洗勝先生の両名を挙げなければなりません。この他に、私が今日『五経正義』を研究している、その根底には吉川幸次郎先生の影響があります。吉川先生の日本語訳『尚書正義』が、私を『五経正義』研究に従事するよう導いたのです。私は決して直弟子ではありませんが、何度か学会の中でその公演を聞いて、影響を受けました。「私淑」の弟子と言えるのではないでしょうか。」

  なんと、あの中国文学の碩儒、吉川幸次郎先生の影響があるという。また、引書索引の作成から「五経正義」研究を始められた所以について、1999年の「讀五經正義札記」*5に以下のようにある。

経学研究に志した以上、一通りは「十三経注疏」を読んでおこうと思った。今から二十数年前のことである。その際、何か或るテーマを持って読むに越したことはなかったが、実際のところ読む前から適当なテーマが有るはずもない。そこで取り敢えず「引書索引」を作成することと並行して読みすすめることにした。

 これを書かれた当時から二十数年前は、ちょうど野間先生が新居浜高専に就職された頃にあたる。修士論文では「五経正義」を扱うことはなかったようであるが、上記にもあるとおり、吉川幸次郎先生の影響を受けつつ、新居浜高専の就職を期に引書索引の作成から「五経正義」の研究に着手されたのであろう。

 ここからは、噂の域をでないが、広大時代、野間先生は研究室の学生から敬意をもって影で「広大のカント」と称されていたようである。それは、先生の生活スタイルに起因する。その壱でも述べたとおり、学生時代より今に到るまで朝型の人間であり、教員時代も、毎日早朝の決まった時間に出勤され、淡々と仕事(読書)をされていたようである。そして、定刻の退勤時間になれば寄り道することなくさっと帰る。これを何十年も続けられたという。まさにあの「イマニュエル・カント」を彷彿とさせる生活スタイルなのである。おそらく、新居浜高専時代も毎日変わらぬ生活スタイルを維持されながら、コツコツと引書索引を作られていたのであろう。当時はネットも発展していない時代であり、その苦労も一入である。

 さて、1990年、助教授として広大中哲にお戻りになる。以降の野間先生は非常に精力的に活動を行われる。「引書索引」の成果を基礎に「五経正義」の語法・語彙についても研究を広げられ、また、「五経正義」だけに留まらず「十三経注疏」全体に研究領域を広げられる。さらに、先生の原点である「春秋学」の入門書を出版されるなど、語りきれないほどに成果を残されている。これらについては次回以降に述べていこうと思う。

 

*1:新居浜工業高等専門学校紀要』14、1978

*2:『日本中国學会報』 37、1985

*3:『哲学』40(広島哲学会) 1988

*4:新居浜工業高等専門学校紀要』25、1989

*5:『東洋古典學研究』8、1999