半知録

-中国思想に関することがらを発信するブログ-

『日知録』易篇訳「重卦不始文王」

重卦不始文王

 

【要旨】

夏と殷の占筮書である『連山』『帰蔵』には、『周易』と同様に、八卦そしてそれを重ねた六十四卦があった。文王が初めて八卦を重ねて六十四卦としたわけではない。

 

【原文】

大卜掌三易之法、其經卦皆八、其別皆六十有四。攷之『左伝』襄公九年、穆姜遷於東宮、筮之遇艮之隨、姜曰、「是於『周易』曰『隨、元亨利貞、无咎』」。獨言「是於『周易』」、則知夏・商皆有此卦、而重八卦爲六十四者、不始於文王矣。

 

【日本語訳】 

 

大卜は三易の法を掌り、『連山』『帰蔵』『周易』の基本となる卦はすべて八、その重ねた卦はすべて六十四とされる。このことを『春秋左氏伝』襄公九年のことで考えてみると、穆姜が東宮に遷り、その場所について筮を立てたところ、艮の随に変ずるが出た。穆姜は言った、「これ『周易』においては、『随は、元亨利貞、咎なし』とある」と。ここだけ「これ『周易』においては」と言うことからすると、夏・殷〔の『連山』『帰蔵』〕にもこの随の卦があり、八卦を重ねて六十四卦を成したのは、文王に始まらないことがわかる。

 

【解説】

 誰が八卦を上下に重ねて六十四卦にしたのか議論が分かれている。その諸説については、前ブログ「八卦と六十四卦の成りたち」を参照のこと。顧炎武は、夏の占書とされる『連山』と殷の占書とされる『帰蔵』にも『周易』と同じく六十四卦が備わっており、『左氏伝』において、穆姜がわざわざ「周易曰」と明言して引用したのは、『連山』『帰蔵』の六十四卦と区別するためだと推し、文王以前に八卦を重ねた六十四卦があったことの明証とする。顧炎武は、八卦を重ねたのは文王に始まらないとは言うものの、では誰が八卦を重ねたのかについては、明言を避けている。なお孔頴達は、『周易正義』序「第二論重卦之人」において、八卦を重ねたのは伏羲だとしている。