半知録

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顔回の実直さ

孔子の高弟に顔回がいる。

顔回、字は子淵。そのことから顔淵とも呼ばれる。孔子より三十歳若かったという。

孔子に最も将来を嘱望されるも、孔子に先だって亡くなり、悲運な人物として知られている。孔子顔回の死に際して、「噫、天 予を喪ぼせり。天 予を喪ぼせり」と慟哭したことは有名である。

 

 昨今、先秦以来の竹簡が雨後のたけのこのように発見されている。その中には、これまで伝わっていなかった孔子と弟子たちの会話記録も含まれていた。ここで注目したいのが、上海図書館蔵戦国楚竹書の『君子為礼』である。その内容は、孔子顔回との対話が主だったものとなっている。そのうち、顔回の実直さを表す次のような説話が残されている。

顔淵侍於夫子。夫子曰、「君子為礼、以依於仁」。顔淵作而答曰、「回不敏、弗能少居也」。夫子曰、「坐、吾語汝。言之而不義、口勿言也。視之而不義、目勿視也。聴之而不義、耳勿聴也。動之而不義、身毋動焉」。顔淵退、数日不出、□〔欠字〕之曰、「吾子何其瘠也」。曰、「然、吾親聞於夫子、欲行之不能、欲去之而不可、吾是以瘠也」。

顔淵は孔子の側につき従っていた。先生が、「君子が礼を行うときは、仁に依るのだ」とおっしゃった。顔淵は立ち上がって返答して言った、「わたし回はおろかでございます、少しの間もそこに居ることはできません」。孔子はおっしゃられた、「座せ、わたしが君に教えよう。言うときにそれが正しくなければ、口では言ってはいけない。見るときにそれが正しくなければ、目では視てはいけない。聞くときにそれが正しくなければ、耳では聞いてはならない。行動するときに正しくなけば、身は動いてはならない」。顔淵は退いて、数日出てこなかった、〔孔子は〕おっしゃった、「吾が子よ痩せたのか」。〔顔淵は〕答えた、「そうです。わたしは身近で先生のお言葉を聞き、行おうとしたのですがうまくいかず、去ろうとしたのですができませんでした。わたしはそうして痩せてしまったのです」。

 

  この説話を読んだとき、孔子が、「吾れ回と言うこと終日、違わざること愚なるがごとし。退きて其の私を省れば、亦た以て発するに足る。回や、愚ならず」、「之を語りて惰らざる者は、其れ回なるか」と、顔回を評価したことが胸に落ちた気がした。孔子の言葉を真に受け、実直いや愚直にも実践しようとした者は、顔回しかいなかったであろう

 

 同じく上海図書館蔵戦国楚竹書『従政』に次のようにある。

君子聞善言、改其言、見善行、納其身焉、可謂学矣。

君子はよい言葉を聞いて、その言動を改め、よい行いを見て、その身に取り入れる、「学」と言うことができる。

 顔回は、まことに「学」を実践しようとした人物だと言える。季康子が弟子の中で学を好む者は誰かと問おとき、孔子は「顔回なる者有り、学を好み、怒りを遷さず、過ちを貳せず、不幸に短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かざるなり」と返答したのも頷ける。

 

 以上の説話で興味深い点がもう一つある。それは、『論語』に似たような記述があるということである。それが、「克己復礼」の典拠でもある次の文である。

顔淵問仁。子曰、「克己復礼為仁。一日克己復礼、天下帰仁焉。為仁由己、而由人乎哉」。顔淵曰、「請問其目」。子曰、「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動」。顔淵曰、「回雖不敏、請事斯語矣」。

顏淵が仁のことをおたずねした。先生は言われた、「わが身をつつしんで礼にたちもどるのが仁ということだ。一日でも身をつつしんで礼にたちもどれば、天下は仁になつくようになる。仁を行うのは自分次第だ。どうして人だのみができようか」。顏淵が「どうその要点をお聞かせください」。先生は言われた「礼にはずれたことは見ず、礼にはずれたことは聞かず、礼にはずれたことは言わず、礼にはずれたことはしないのだ」。顏淵は言った、「回はおろかでございますが、このお言葉を実行させていただきます」(金谷治訳)。

 見て分かるとおり、物語の筋はおおよそ同じである。この文と『君子為礼』の文は、異伝の類だろう。『論語』に記されている孔子と弟子の言行録が唯一絶対というわけではなく、先秦時代には様々なバリエーションの孔子説話があったことが分かる。現在、伝わっているのは氷山の一角でしかない。ただ、どれが本当にあった出来事だったかは判断の難しいところである。世に聞こえた孔子学団ともなると、説話の捏造や話が盛られることが当たり前のように行われたはずである。

 

 とはいえ、今回挙げた『君子為礼』の一文は、孔子が愛してやまなかった顔回の人柄をより的確に表した説話だと思うのである。こうした説話が伝わらなかったことは惜しいことであり、同時に今に発見されたことは幸運なことであったと思う。

 

 このように出土文献から孔子学団の新たな一面が明らかになりつつある。今の中国学の醍醐味のひとつである。