半知録

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『日知録』易篇訳「游魂爲變」

游魂爲變

 

【原文】 

「精気爲物」、自無而之有也。「游魂爲變」、自有而之無也。夫子之荅宰我曰、「骨肉斃於下、陰爲野土。其氣發揚於上、爲昭明。焄蒿悽愴」。【朱子曰、「昭明、露光景也」。鄭氏曰、「焄、謂香臭也。蒿、氣蒸出貌」。許氏曰、「悽愴、使人慘慄感傷之意」。魯菴徐氏曰、「陽気爲魂、附於體貌、而人生焉。骨肉斃於下、其氣無所附麗、則發散飛揚於上、或爲朗然昭明之氣、或爲溫然焄蒿之氣、或爲肅然悽愴之氣。蓋陽氣輕淸、故升而上浮、以從陽也」。】所謂「游魂爲變」者、情状具於是矣。延陵季子之葬其子也、曰、「骨肉復歸於土、命也。若魂氣則無不之也。無不之也」。張子『正䝉』有云、「太虛不能無氣、氣不能不聚而爲萬物、萬物不能不散而爲太虛。循是出入、是皆不得已而然也。然則聖人盡道其閒兼體而不累者、存神其至矣」。其精矣乎。鬼者、歸也。張子曰、「氣之爲物、散入無形、適得吾體」。此之謂歸。陳無已【師道。】以「游魂爲變」爲輪廻之説。【『理究』。】呂仲木【柟。】辨之曰、「長生而不化、則人多、世何以容。長死而不化、則鬼亦多矣。夫燈熄而然、非前燈也。雲霓而雨、非前雨也。死復有生、豈前生邪」。邵氏【寶。】『簡端錄』曰、「聚而有體、謂之物、散而無形、謂之變。唯物也、故散必於其所聚。唯變也、故聚不必於其所散。是故聚以氣聚、散以氣散。昧於散者、其説也佛、荒於聚者、其説也僊」。盈天地之閒者、氣也。氣之盛者爲神。神者、天地之氣而人之心也。故曰、「視之而弗見、聽之而弗聞、體物而不可遺、使天下之人齊明盛服以承祭祀。洋洋乎如在其上、如在其左右」。聖人所以知鬼神之情状者如此。「維嶽降神、生甫及申」、非有所託而生也。「文王在上、於昭于天」、非有所乘而去也。此鬼神之實而誠之不可揜也。

 

【日本語訳】

 「精気を物と為す」とは、無から有に向かうことを言う。「遊魂を変と為す」とは、有から無に向かうことを言う。孔子宰我の質問に答えて、「骨肉は地下に朽ち果てて、埋もれて野の土となる。その気は上に立ち上って、照明となる。そのさまは、香気が立ち上って人の心をおののかせる」と言っている。【朱子は言う、「照明とは、露の光景である」と。鄭玄は言う、「焄とは、香臭のことである」と。許氏は言う、「淒愴とは、人を戦慄させ感傷させることの意である」と。徐師曽は言う、「陽気は魂であり、人体に憑いて、人はここに生まれる。骨肉は地下に朽ち果て、その気が付着するところがなくなれば、上に発散飛翔し、あるいは朗然とした昭明の気となり、あるいは温然とした香気となり、あるいは粛然とした戦慄させる気となる。思うに陽気は軽くて清らかであるから、昇って上に浮遊し、陽に従うのであろう」と。】いわゆる「遊魂を変と為す」は、情状はここに備わっている。延陵季子がその子を葬ったおり、「骨肉が土に返るのは、道理です。しかし、魂気は行けないところはない。行けないところはないのです」と述べた。張子の『正䝉』には、「太虚に気がないことはありえなく、気が集合しないで万物となることはなく、万物が散開しないで太虚となることはない。(気は)めぐりめぐって出入し、すべて止むことはなくして(この世は)泰然としている。そうであるからこそ、聖人は道をこの世の間に尽くし、(気と)体を兼ねて煩うことはない者であって、神を存養することの至りなのである」と述べている箇所がある。なんと優れていることであろう。

 鬼とは、帰を意味する。張子は、「気というものは、離合集散して決まった形がなくても、ぴったりと我が体を作り上げる」と言う。これが帰ということだ。

 陳無已【名は師道。】は、「游魂を変と為す」ことをもって輪廻の説とする。【『理究』。】呂仲木【名は柟。】は、このことを弁じて、「長生して変化しないものは、人が多く、世ではどうして受け入れるのか。長死して変化しないものは、鬼が多い。そもそも明かりが点滅するのは、以前に明かりがあったからではない。雲や虹が現れて雨が降るのは、以前に雨があったからではない。死に再び生があるというは、どうして前世というものがあろうか」と言う。

 邵氏【名は宝。】『簡端録』に「集合して形有るもの、これを物と言い、散開して形無きもの、これを変と言う。ただ物であるので、散じた気は(形がある物となるためには)集まる場所が必要である。ただ変であるので、気の集合にはどこで散じたかは問題とならない。このことから、集合は気をもって集まり、散開も気をもって散じる。気の散開を理解していない者の説は仏教のようになり、気の集合になおざりにしている者の説は仙術のようになる」とある。

 天地の間に満ちているものは、気である。気の盛んなるものが神である。神は、天地の気であって人の心である。それゆえ、「これを見ようとしても見えず、これを聞こうとしても聞こえず、万物を生じて漏らすところがない。天下の人は、斎戒して祭服を身につけ、祭祀を執り行うのである。洋々としてあたかも神霊が頭上にいるように、あたかも左右にいるように行う」と言う。聖人が鬼神の情状を知れるのは、このようであるからである。

 「名嶽の神霊が降って、甫侯及び申伯を生んだ」とあるのは、神のお告げがあって生まれたのではない。「文王の神霊が天の上にいまし、ああ、その霊が天に明らかに現れている」とあるのは、乗るところがあって(この世から)去ったのではない。これこそ、鬼神の実態であってその誠を覆い隠すことはできない。

 

【解説】

主な出典を記しておく。「朱子」は『朱子語類』巻六八・易四・乾上、「鄭玄」は『礼記』祭義篇「焄蒿悽愴」の注、「許氏」は、元の許謙『読中庸叢説』上。「魯菴徐氏」は、徐師曽、字は伯魯のこと、徐師曽には『礼記集注』三十巻の著作があり、そこからの引用と思われるが、確認できていない。「陳無已」は、陳師道『後山集』巻二二「理研」。「呂仲木」は、呂柟のこと、その著作に『涇野先生文集』『涇野子内篇』などがあるが、ここの出典は不明。「邵氏簡端録」は、邵宝『簡端録』巻三。