半知録

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『日知録』易篇訳「朱子周易本義」⑥

【要旨】

象伝に「亦」とあるのは、上文の伝を承けたのだとする説を論じる。

 

【原文】

程『傳』雖用輔嗣本、亦言其非古易。咸九三「其股、亦不處也」、傳曰、「云『亦』者、蓋象辭本不與易相比、自作一處、故諸爻之象辭意有相續者。此言亦者、承上爻辭也」。【小畜九二牽復在中、亦不自失也。『本義』曰、亦者、承上爻義。】

 

【日本語訳】

 程頤の『伝』は王弼本を用いているが、それは古易ではないと考えていた。咸九三「其の股に咸ず、亦た処らざるなり」の伝には、「『亦』と言うのは、思うに象伝の辞は本来、『易』の経文と並んではおらず、一箇所にまとめられて記されていたのだろう。それゆえ諸爻の象伝の辞の意味に続けて読むものがあるのである。この『亦』と言うのは、上爻の辞を承けてのことである」と言っている。【小畜九二「牽きて復りて中に在り、亦た自ら失せざるなり」の『周易本義』には、「『亦』は、上爻を承けたことの意味である」とある。】

〔続く〕

 

【解説】

 王弼や『周易正義』では、象伝の「亦」についてはそれほど注目していない。それに対し、 程頤や朱熹は、象伝に「亦」とあるのは上文の伝を承けたものであり、伝でひとまとまりであった名残だとした。古くは経と伝とが独立して一書となしていた可能性が高く、あるいはそうなのかもしれない。