半知録

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『日知録』易篇訳「不遠復」

不遠復

〔要旨〕

復の初九は、動くことの萌芽である。それ以前は、喜怒哀楽といった感情はいまだ現れていない。それゆえ「復において天地の心が見られる」とあるのである。顏回は中庸であろうとし、それを復卦に選び求めた。そうして八つ当たりをせず、過ちを繰り返さない境地に至ったのである。それは、「復は弱小の萌芽状態にあって物事を弁別する」とされるからである。

 

〔原文〕 

復之初九、動之初也。自此以前、喜怒哀樂之未發也、至一陽之生而動矣、故曰「復其見天地之心乎」。顏子體此、故「有不善未嘗不知、知之未嘗復行」、此愼獨之學也。「回之爲人也、擇乎中庸」、夫亦擇之於斯而已。是以「不遷怒、不貳過」。其在凡人、則復之初九、「日夜之所息、平旦之氣、其好惡與人相近也者幾希」。苟其知之、則擴而充之矣、故曰「復、小而辨於物」。

 

〔日本語訳〕

 

復の初九は、動きの初期である。これより以前は、喜怒哀楽といった感情はいまだ発せられず、〔初爻に〕一陽が生ずるに至って〔感情が〕動く。それゆえ「復において天地の心が見られる」と言うのである。顔回はこれを体得していたので、「自分によくない点があればいまだかつて気づかなかったことはなく、それに気づけばいまだかつて再び行うことはなかった」、これが慎独の学というものだ。顔回という人は、中庸を選びもとめ、またそれを復卦に選び求めた。そうして八つ当たりをせず、過ちを繰り返さない境地に至ったのである。凡人であれば、復の初九は、「日夜生長するところ、すなわち平旦の気という夜明け方の清らかな気分があれども、好悪が人と近い者はほとんど稀である」という状態である。もしそのことを知っていたならば、拡大して充たそうとするだろう。それゆえ「復は弱小の萌芽状態にあって物事を弁別する」とされるのである。

 

〔解説〕

 復卦は、初爻のみ陽爻で、残りは陰爻である。陽が初めて初爻に現れた卦形をしているので、「動の初め」とする。復卦の初九爻辞と孔子の高弟である顔回が結びつけられているのは、繋辞伝に「子曰、顏氏之子、其殆庶幾乎。有不善未嘗不知、知之未嘗復行也。易曰、不遠復、无祇悔、元吉」とあるからである。