半知録

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『日知録』易篇訳「鳥焚其巣」

鳥焚其巣

〔要旨〕

人主の徳は、人に謙るより重要なものはない。旅の上九は、卦の一番上、離の極みであり、君主が横暴に振る舞うような位置にある。矜持を持って、諫争の論に耳を傾けなければ、その災禍は身に及ぶ。旅の上九爻辞「鳥其の巢を焚く」とは、そのことを述べたものである。

 

〔原文〕

人主之德、莫大乎下人。楚莊王之圍鄭也、而曰、「其君能下人、必能信用其民矣」。故以禹之征苖、而伯益賛之、猶以「滿招損、謙受益」爲戒。班師者、謙也。用師者、滿也。上九處卦之上、離之極、所謂「有鳥髙飛、亦傅於天」者矣。居心以矜、而不聞諫争之論、菑必逮夫身者也。魯昭公之伐季孫意如也、請待於沂上以察罪、弗許。請囚於費、弗許。請以五乘亡、弗許。於是叔孫氏之甲興、而陽州次乾侯唁矣。「鸜鵒鸜鵒、往歌來哭」、其此爻之占乎。【呉幼清曰、「此爻變爲小過、有飛鳥之象」。】

 

〔日本語訳〕 

 

人主の徳は、人に謙るより重要なものはない。楚の荘王は鄭を包囲して、「鄭の君はよく人に謙虚になれ、必ずよく人民に信用している」と述べた。禹は苖を征伐しようとしたとき、伯益は、「滿は損を招き、謙は益を受ける」ことを戒めとするように助言した。軍隊を引き返すのが損で、軍隊を用いるのが満である。〔旅の〕上九は、卦の一番上、〔旅の外卦である〕離の極みに位置し、「鳥が高く飛んでも、また天に昇るだけである」というようなものである。矜持を心に持ち、諫争の論に耳を傾けなければ、その災禍は身に及ぶということである。魯の昭公が季孫意如を攻めたとき、〔季孫意如は〕沂上の岸辺で待つ間に、罪を精査するよう願ったが、〔昭公は〕許さなかった。また費で謹慎させてほしいと願ったが、許さなかった。車五輌で逃げさせてほしいと願ったが、許さなかった。そこで叔孫氏の兵が興って、〔昭公は敗れて斉に逃れ〕陽州に野営し、そのまま斉の地の乾侯で薨じ弔われた。〔周の文武の世での童謡である〕「鸜鵒鸜鵒、往きて歌い来りて哭く」とは、この爻の占いであろうか。【呉幼清は、「旅の上九が陰爻に変化して小過となるので、飛鳥の象がある」と言う。】

 

〔解説〕

「魯昭公之伐季孫意如也」云々は、『春秋左氏伝』昭公二十五年の記事による。

呉幼清の言は、呉澄『易纂言』巻二・旅上九の注。旅の上九が陰爻に変化すれば、小過の卦形となり、小過の彖伝に「有飛鳥之象焉」とあることによる。