半知録

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『日知録』易篇訳「困德之辨也」

困德之辨也

〔要旨〕

困難な状況にあって、その人の徳が現れるのである。「困は德の辨なり」とは、そのことを述べたものである。

 

〔原文〕

「内文明而外柔順」、其文王之困而亨者乎。「不怨天、不尤人、下學而上逹」、其孔子之困而亨者乎。故在陳之厄、絃歌之志、顔淵知之、而子路・子貢之徒未足以逹此也。故曰「困德之辨也」。

 

〔日本語訳〕

「文明を内に秘めて従順な態度を外に示し」たのは、文王が困難に遇って到達した境地であろうか。「天を怨まず、人を咎めず、手近なところから学び始めて、次第に進歩向上していく」とは、孔子が困難に遇って到達した境地であろうか。それゆえ(孔子が)陳での災厄にあっても、琴を弾き歌を誦しようとする志は、顔淵は理解していたが、子路や子貢といった弟子たちはいまだその境地には達していなかった。それゆえ「困は徳の弁別」とされるのである。

 

〔解説〕

「在陳之厄」とは、『史記孔子世家などにみえる孔子一行が陳の国で困窮した説話を指す。孔子一行は陳・蔡の発した役夫に囲われ、食糧に窮した。その際でも、孔子は詩を口ずさみ、琴を弾き、泰然としていた。子路や子貢は憤りをみせたが、顏淵だけ孔子の志を理解していた。