半知録

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『日知録』易篇訳「既雨既處」

既雨既處

〔要旨〕

『易』での陽が唱導して陰が従うという陰陽の義は、夫婦関係では成り立たない。小畜の爻辞がそれを表している。その爻辞では、とりわけ婦が夫を制し和ならざる状態の場合は言及するが、夫婦が正しく和している状態の場合は言及していない。

 

〔原文〕

陰陽之義莫著於夫婦、故爻辭以此言之。小畜之時求如任・姒之賢、二南之化、不可得矣。陰畜陽、婦制夫、其畜而不和、猶可言也。三之「反目」、隋文帝之於獨孤后也。既和而惟其所爲、不可言也。上之既雨、唐髙宗之於武后也。

*底本は「猶」に作るが、原抄本は「唐」に作る。原抄本に従う。

 

 

〔日本語訳〕

(陽が唱導して陰がそれに順う)陰陽の義は、夫婦においては現れることはない。それゆえ〔小畜の〕爻辞は、そのことを言ったものである。小畜の時に太任・太姒のような賢母、周公旦・召公奭のような聖人・賢人の教化を求めても、得ることはできない。〔小畜の六四の〕陰爻が〔上下の〕陽爻を養い、婦が夫を制御したならば、その養いは調和しないことは、やはり言う必要がある。〔小畜の〕九三の「反目」とは、〔婦が夫を制御した〕隋の文帝と独狐皇后との関係のようなものである。〔陰陽が〕すでに調和してその行うところは、言う必要はない。〔小畜の〕上九の「既に雨ふる」とは、〔婦に完全に権力を奪われた〕唐の高宗と武后の関係のようなものである。

 

〔解説〕

小畜䷈は、四爻が陰で、それ以外の爻は陽の卦である。顧炎武は、小畜を四爻の陰がそれ以外の陽爻を養っている卦だとみたのである。ただ、この解釈は、朱熹の『本義』の「上巽下乾、以陰畜陽、又卦唯六四一陰、上下五陽、皆爲所畜、故爲小畜」に則っている。